2009年の日本経済はこうなる!!
   
作成日:11/21/2008
提供元:月刊 経理WOMAN
  


リーマンショックで広がる金融不安
波乱の2009年-「日本経済」はズバリこうなる!!




 リーマン・ブラザーズの倒産をきっかけに、世界中が金融不安に陥っています。各国が協調して対策を講じていますが、不安の連鎖は簡単には断ち切れそうにありません。世界経済の減速など2009年の経済環境は難問山積です。ここでは気鋭の女性エコノミストが2009年の日本経済をズバリ予測します。

◆経済の血液が回らなくなった

 本年は「場合によっては大破綻、そうでなくても、結構冷え冷え。それが2008年だと思います」と予測しました。実際には、「場合によっては」の方の展開になってしまいましたね。

 いわゆるサブプライム問題に端を発する金融危機で、世界中が大混迷に陥りました。その帰結がどうなるか、それはまだまだ判りません。それこそ、場合によってはさらに一段の大破綻が2009年の世界と日本を襲うことにもなりそうです。

 2009年の展開を考える上でのポイントは何か。それをここでは「ヒト・モノ・カネ」の三つの観点から考えていきたいと思います。

 グローバル時代は「ヒト・モノ・カネ」が地球を股にかけて行き交う時代。我々はこの言い方を耳にタコが出来るほど聞かされ続けてきました。この「ヒト・モノ・カネ」の地球的な自由往来は、果たして今後も続くのか。前代未聞の金融危機の到来で、「ヒト・モノ・カネ」の動きは今後どうなっていくのか。2009年とその後の経済展望を見通すということは、結局のところ、このテーマを考えることに帰着するのだと考えられます。

 まずは、金融危機の焦点であるカネの問題から始めましょう。金融危機とは、そもそも何か。それは、要するにカネが天下に回らなくなるということです。金融を言い換えれば信用創造です。

 信用は読んで字のごとし。相手を信用して資金を融通することを意味します。そこに信頼関係があるから、おカネの貸借りが発生する。おカネの貸借りが発生すれば、そのことに伴って経済活動が活発化していきます。カネが天下を回れば回るほど、地球経済は活況を呈するというわけです。

 ところが、今回の金融危機の中で、信用創造は事実上の停止状態に陥りました。誰も、誰に対してもおカネを貸さなくなったのです。こうなれば、信用創造ではなくて信用収縮です。誰もが、誰かにカネを貸すとそのカネは返ってこないかもしれないと思うようになりました。

 リーマン・ブラザーズやAIG(米国最大手の保険会社。経営危機が表面化し、事実上米政府の傘下に入った)などという超大手の金融機関が軒並み経営破綻に陥る有様を目の当たりにさせられたのですから、そうした心理が蔓延するのも当然です。

 こうして、誰もがカネを囲い込んで出し惜しみするようになる。そのことに伴って、経済活動がいわばショック死状態に追い込まれる。これがいわゆる金融恐慌です。

 カネは経済の血液です。血液が循環しなくなれば、体は活動し続けることが出来ません。血液の切れ目は命の切れ目、カネの切れ目は経済活動の切れ目です。


◆パニックはひとまず鎮静化に

 問題は、この経済のショック死状態から2009年の世界がどこまで立ち直れるかということです。急激な信用収縮に対して、主要国の政府と中央銀行が一連の対策を打ち出したことはご承知の通りです。

 国によって多少の違いはありますが、対策のポイントは大別して三つです。その一が金融機関への資本注入、その二が金融機関同士の融資に関する政府保証の供与、その三が預金の全額保護です。

 金融機関への資本注入は、要するに、金融機関が信用創造を続けるための元手を国が提供することを意味します。政府による融資保証は、「貸したカネが返って来ないかも」という不安感が貸し惜しみや貸し渋りを引き起こさないための対策です。預金の全額保護は、銀行倒産を恐れた預金者による取付け騒ぎを防ぐための対応です。

 これらの措置が打ち出されたことで、世界の株式市場を覆っていたパニック心理はひとまず鎮静場面を迎えました。しかしながら、これらの措置はあくまでも、異常な状態に対する極めて異例の緊急対応です。

 機能停止状態に陥った人体に電気ショックを与えて、とりあえずの蘇生に何とか成功したというのが実態で、いわば生命維持装置をたくさんつけて呼吸させている状況です。この生命維持装置をいつはずすのか。はずした時にどうなるか。それが2009年に問われることになるわけです。

 結論的にいえば、生命維持装置をはずすことはなかなか出来ないでしょう。ちなみに、バブル崩壊後の日本の「失われた10年」への対応にも、この生命維持装置方式がとられました。その二本柱が、公的資本注入による銀行の不良債権処理とゼロ金利政策です。

 このうち、不良債権処理については何とか決着が着きました。ですが、金利についてはまだまだ超低空飛行状態が続いていることはご承知の通りです。ゼロ金利政策そのものこそ解除されましたが、金利水準は到底正常化されているとはいえません。

 ことほどさように、一度、生命維持装置を稼働させてしまうと、自力生存への復帰はかなり難しい。そう考えておくべきでしょう。


◆国家財政そのものが破綻の危機に

 生命維持装置に依存する状態が続く限り、カネの天下への回り方はどうしてもスロー・ぺースにならざるを得ません。そもそも、カネの天下への回り方が早すぎたために金融危機を招いたわけです。同じことを繰り返さないために、生命維持装置の管理者である政府と中央銀行は、患者が無理をし過ぎないよう、無謀な社会復帰を急がないように管理・監督を強化することになるでしょう。

 そうなれば、2009年には、さらに一段の信用収縮を何とか免れるとしても、信用創造の規模はかなり小さくなるはずです。かくして、2009年のカネの世界は、ここ数年の大激走から一転して、良くてノロノロ運転、悪ければ失速状態に陥ることも覚悟しておく必要があるでしょう。

 ここで注意しておくべき点が2点あります。その一は、今回の危機が日本の金融機関を直撃していないから、日本は軽症で済む、という考え方です。この考え方には同意できません。現に、金融機関はもとより、日本の一般企業も、そして投資家たちも、今回の危機で大きな損失を蒙っています。

 それもさりながら、そもそも、カネが世界を回らなくなれば、日本にもその影響は必ず波及します。グローバル時代は連鎖の時代ですから、金融鎖国でもしていない限り、独り無傷でいられるわけはありません。

 第二点は、生命維持装置そのものが機能障害を起こす危険性です。要するに、公的資金で金融機関を支える負担が重すぎて、国家財政そのものが破綻の危機に陥るかもしれない、という問題です。

 現に、今回の金融危機の中で、アイスランドという小さな国がその状態寸前のところまで追いやられています。同じような状態に、ただでさえ巨大な財政赤字を抱えたアメリカが陥らないか。欧州各国は大丈夫か。そんなところまで心配しなければならないところに、問題の深さがあるのです。


◆高まる経済ナショナリズム

 モノの世界についてはどうでしょうか。ここでのポイントは二つです。第一に、カネの世界に強い縮み圧力がかかる状態の中では、モノの取引もどうしても縮みがちとならざるを得ないということです。

 カネが回転してくれなければ、モノの動きも緩慢になります。地球規模でのモノの動きも、2009年には減速を免れないでしょう。

 そうなれば、快調なグローバル需要に支えられて伸びてきた日本の輸出も停滞必至です。これまでの日本経済は、格差経済化による内需の弱さを輸出頼みで補ってきました。そのやり方が通用しないとなれば、2009年の展望はおのずと厳しいものになってきます。

 第二に、じつをいえば、モノの世界ではカネの世界よりも一足早く、囲い込み現象が始まっていました。2008年は、世界貿易機構(WTO)加盟国間のいわゆる「ドーハ・ラウンド」が決裂した年として、歴史に残ることになりそうです。

 金融危機のおかげで、この問題はすっかり後に退いてしまった感がありますが、これもなかなか大変な問題です。「ドーハ・ラウンド」は、2001年から始まった貿易自由化交渉の名称です。「ラウンド」はゴルフのラウンドと同じイメージで、「一連の交渉」というニュアンスの言葉です。

 ドーハは中東の国、カタールの首都。ドーハで開催されたWTOの閣僚理事会でスタートを切った交渉なので、「ドーハ・ラウンド」という名称がつきました。

 このドーハ・ラウンドを通じて、WTO加盟諸国はグローバル時代にふさわしい開かれた通商関係の構築を実現するはずでした。ところが、この交渉が事実上のケンカ別れとなってしまったのです。

 グローバル時代だといいながら、むしろ、グローバル競争が激しさを増すほど、国々のエゴが前面に出て、自分の市場を囲い込む。こうした経済ナショナリズムの高まりが、連鎖と融合のグローバル時代を、下手をすれば分断と排除のブロック化時代に変身させてしまうことになりかねません。

 こんな具合で、カネについても、モノについても、囲い込みと引きこもりの傾向が強まっていくようだと、2009年の展開はますます気掛かりになってきます。


◆キーワードは知恵と互恵の精神

 カネとモノの世界がこんな調子であれば、ヒトの世界についても、ますます選別が厳しくなり、格差が深まることは免れないでしょう。カネが回らず、モノが動かない世界で生き延びようとすれば、企業はどうしてもヒトを選り好みすることになるからです。

 ひたすら気が滅入る話ばかりとなって恐縮ですが、何はともあれ、ここは最悪のシナリオを直視することが重要だと思います。

 危機管理という言葉がはやる世の中です。危機管理とは、要するに最悪の事態を想定した上での生残り対策です。経済の動向を見通すに当たっても、このような意味での危機管理の発想が必要です。

 恐いものは、直視すればするほど正体がよく見えて、やっつけ方も見極めやすくなります。逆に、見ない振りをしていればいるほど、ひたすら影に怯えて金縛り状態になります。これではどうにもなりません。

 ヒト・モノ・カネのすべてに渡って縮みと引きこもりが一段と深化する。これが2009年についての最悪のシナリオです。そこまで行かないで済むかどうかは、結局のところ、どこまで助け合いの心意気を復元出来るかにかかっているといえるでしょう。

 何とも精神論的な言い方で、じつに経済見通しらしくありませんが、結論はどうしてもそこにたどり着いてしまいます。

 国と国との間、企業と企業の間、人と人との間で互恵的な協調や連携をどう呼び覚ますのかということです。

 今回の金融危機についても、主要国の間でともかくも共同歩調で解決を図る方向性が出たからこそ、何とか応急措置には目途が着いたわけです。逆にいえば、ここから先が問題です。「自分さえよければ」の発想が前面に出て、国々の政府が自分の国の金融機関や預金者だけを救おうとする囲い込み心理に負ければ、たちどころに最悪のシナリオが現実の展開となってしまうでしょう。

 経済活動はあくまでも人間の営みですから、最終的には人間の精神性が開放的か閉鎖的かで明暗が分かれます。だからこそ、天下にカネを回す金融という行為を「信用」創造とも呼ぶわけです。

 ヒト・モノ・カネを巡る大引きこもり、大囲い込みに向かうのか。人間の知恵と互恵の精神で再び開かれたヒト・モノ・カネの世界を取り戻すのか。新年は、それが問われる年になりそうです。

〔月刊 経理WOMAN〕