第70回 難局を切り開く知恵!!

 「人間は行きづまるということは絶対にない。行きづまるというのは、自分が“行きづまった”と思うだけのことである。」これは知謀でくぐり抜けた、経営の神様と謳われた松下幸之助氏の言葉です。(知謀沸くが如し−致知2009.11−参照)

 現代は、経営者にかつてない予期せぬ事態が起きています。多くの難局が目の前に現れ、それを打開しなければならないのです。

 近々に司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」がNHKで放映されますが、その中のクライマックスの日露戦争の帰趨を決した日本海海戦。当時屈指の戦力を誇った、ロシアのバルチック艦隊を破った海軍大将・東郷平八郎は、「知謀、沸くが如し」を座右の銘にしていたといいます。

 戦場では常に予期せぬ事態が起こります。だがいかなる場合にも、将たる者、泉のように知恵を沸かせ、局面を打開しなければなりません。東郷平八郎は自らそういい聞かせていたのでしょう。これはリーダーの必須の心得であり、条件であるのです。歴史はそのようなリーダーの事例に満ちています。

 いまNHKで放送中の大河ドラマ『天地人』の主人公・直江兼続も知謀の人であります。兼続は人を魅了する何かを備えた人物であったと思われます。幼少期は上杉謙信に愛され、薫陶を受けました。長じて太閤秀吉に気に入られました。兼続が仕える上杉家が越後から会津に転封された時、石高百二十万石のうち、兼続は特に米沢三十万石を与えられています。陪臣にしては破格の扱いであります。

 関が原の戦いでは、兼続は徳川方に味方した山形城の最上義光を攻めました。二十二の砦を落とし、最上最後の拠点に攻めかかろうとした時、「関が原で家康圧勝」の知らせが入る。兼続は天を仰ぎ瞑目しました。

 だが、それは一瞬でした。直ちに囲みを解いて米沢に引き揚げる決意を下しました。それからの行動も素早かった。上杉家安泰を図るため、主君の許しを得て家康のいる大阪城に向かい、面会を願い出ます。

 自分に楯突いた男がどの面提げて、と興味を持ったであろうと思われる家康は面会を許しました。周りの諸将も冷ややかなあざけりの目を投げかけてきます。兼続は上杉家の安泰を願い出ました。だが、取り潰しは規定のことであります。許されるわけがありません。兼続は粘りに粘りました。一途でひたすらだったといいます。

 その態度に家康は心が動いたらしい。上杉家とともに葬ってしまうには惜しい人材と兼続を見たこともあるのでしょう。上杉家取り潰しは変らないが、兼続の米沢三十万石はそのまま許す、となったのです。兼続は深く頭を垂れて言いました。

 「有難き幸せながら、その儀は返上させていただきます」。怪訝そうな面持ちになる家康。兼続はさらに言上しました。

 「ただし、私が一旦返上いたしました米沢三十万石は、主人上杉景勝にお与えいただきとうございます」。

 周りはどよめきました。どうしたものか、と側近の本多正信を見る家康。兼続はその本多に目を向け、更に驚くべき申し出をいたしました。本多の子息政重を自分の養子に、というのであります。政重は不肖の子で、関が原では敵方に属し、処断は免れない立場でした。

 家康はニヤリと笑って言い放しました。

 「直江、さすが故太閤殿下が目をかけられただけの器量を持っておられる。いや、器量というよりも知謀というべきか」。

 兼続の申し出は承諾されたのです。かくて上杉家は生き残ったのです。兼続、知謀の限りを尽くした戦いでありました。

 この人も幾変転を知謀でくぐり抜けた松下幸之助氏の言葉。

 「人間は行きづまることは絶対にない。行きづまるというのは、自分が“行きづまった”と思うだけのことである」。


 激動の時代において企業経営を続けることは非常に大変です。しかし、その荒波を乗り越え逆境をバネに躍進するためには経営者自身が先頭を切って難局を打開することです。役員も管理職も従業員も皆社長を見て動いています。率先垂範して動くことにより、会社のために何ができるかを社員ひとりひとりが考え、行動することにつながっていきます。

 多忙なときにこそ、自らを深く省みてこれからの指針を打ち出すことが今後の企業経営に大きく影響してくるのです。そのためにまずは現状を把握することが大事です。「マネージメント・パワー」で社長ご自身の経営力を把握し、「決算診断」で会社の経営体力を把握する、現状をしっかりと理解できていれば改善策は必ず見つかります。





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