目次 I-5


5 出向命令に従わない者に対する懲戒処分


Question

 当社(本社大阪)は従業員Aに対し、九州にある子会社への出向を内示しました。ところがAは、母親の病気を理由に遠方での勤務には応じられないと、断ってきました。そこでAの内諾のないまま、出向命令を発令したのですが、Aはこれを拒否しました。このことを理由にAに対し懲戒処分を行うことができるでしょうか。また、どのような懲戒処分ができるでしょうか。



Answer

 母親の病状が一進一退で他地への転居を許さない状況であれば、懲戒処分を控えた方が無難です。母親の病状がそこまで至らない場合は、他の親族の存在・当該出向による影響その他の状況を勘案して、普通解雇や他の懲戒処分に処するなどの慎重な対応が必要です。


 ◆出向命令拒否に対して懲戒処分は可能

 一般的に、出向命令の拒否は業務命令違反であり、企業秩序にとって重大な規律違反行為と考えられますので、懲戒規定に基づいて懲戒解雇を行うことも相当と解されます(小野田セメント懲戒解雇事件=東京地判昭45.6.29労民21巻3号1019頁、日本ステンレス・日ス梱包事件=新潟地高田支判昭61.10.31労判485号43頁)。

 ただ、実際に懲戒解雇を行うにあたっては、以下のいくつかの要件(有効な出向命令、懲戒処分権限の存在、当該懲戒処分の種類及び程度が具体的な出向命令拒否との間でバランスがとれているものであること)がそろっている必要があります。

(1)有効な出向命令

(1)出向命令の法的根拠

 まず、出向命令が有効なものであり、従業員がそれに従う義務を負っている必要があります。法的に根拠のない出向命令が出されても、従業員はこれに応じる義務はありませんので、従業員がこのような出向命令を拒否しても、懲戒解雇などの懲戒処分を行うことはできません。裁判例は、一般に、就業規則、労働協約又は入社時の出向に対する包括的同意などが出向命令の法的根拠になり得るとしています。出向根拠規定としてどのような就業規則(その細則である出向規定)等が望ましいかについては、例えば、「従業員は、正当な理由なしに転勤、出向又は職場の変更を拒んではならない。」(日本ステンレス・日ス梱包事件=新潟地高田支判昭61.10.31労判485号43頁)などの記載があれば、一応の出向根拠規定となります。基本的には、かかる規定を出向命令の根拠規定として、従業員の個別的同意(具体的な出向命令の発令に対するその時点での同意)なしに出向を命じ得る権限が会社にあるといえます。

 しかし実際には、I−3で説明したとおり、個別的同意なしでも出向命令権が認められた裁判例では、就業規則、労働協約の他、入社時の説明、出向規定の整備、出向の必要性、出向先と出向元との(密接な)関係、労働条件の比較、実態、慣行などが総合的に検討されています(興和事件=名古屋地判昭55.3.26労経速1045号、医薬品製造会社から実質上同一企業の一事業部として機能しているその製品を一括販売する会社への出向、日本ステンレス・日ス梱包事件=新潟地高田支判昭61.10.31労判485号43頁)。

(2)従業員側の事情

 以上のような判断の上、会社に一応出向命令権があると認められる場合でも、特定の出向命令対象者に対する出向命令については、人事権の濫用として無効とされることもあります。実際、出向命令を拒否した従業員4名を懲戒解雇した事例について、内3名に対する出向命令を有効(さらに懲戒解雇も有効)とした一方、身障者である両親を抱えた従業員1名については、家庭事情からして酷なので、この者に対する出向命令は、人事権の濫用として無効であるとした下級審判決も存在します(日本ステンレス・日ス梱包事件=新潟地高田支判昭61.10.31労判485号43頁)。特に、転勤を伴う出向の場合、家庭環境に何らかのマイナスが生じるのが普通であり、実際の対象者選考(人選)においても、40歳代以上であれば、被扶養者として高齢、病弱、入院中の家族を抱える者も多いでしょう。人選にあたっては、客観的な基準を設け、経験度、転勤回数の他、家庭事情による除外要素を複数設定(高齢者の人数、病弱者の存在など)するなどして、可能な限り人選の適正が後日紛争になった場合の検証に耐えうるようにしておくべきでしょう。

 上記判例では、母が脳出血、脳梗塞により体幹不自由1級・言語機能障害4級で半身麻痺で寝たきり、父は、出向命令の3か月前に脳血栓により上下肢不自由5級、従業員本人が同居し一人で面倒をみていたという状況の従業員に対する出向命令が人事権の濫用とされ、一方、 (従業員A)長男の足が不自由で治療を受けていて、住宅ローン返済のため妻はパート勤め、約1年前に出向経験有り、(従業員B)両親が高血圧症で治療中、(従業員C)母と祖母が持病で治療中であるが、同居の父(同社に勤務)、弟2人が自宅通勤、という3名の従業員A、B、Cに対する出向命令は有効としています。

 また、出向命令の可否の判断にあたって、従業員側の事情が斟酌された裁判例として、母親の病気を理由とする出向命令拒否に合理性があるとして出向命令に従わなかったことを理由とする普通解雇を無効としたもの(佐世保重工仮処分事件=長崎地佐世保支判昭59.7.16労判438号)と、同じケースについて出向命令拒否に正当性はないとして解雇を有効としたもの(佐世保重工本訴事件=長崎地佐世保支判平元.7.17労判543号)があります。この2判決で結論が異なったのは、母親の病気の程度や看護の方策などについての事実認定が異なったことが原因と考えられます。

 既述のように、出向命令の有効性判断は、基本的に総合評価によりなされますが、上記判例からは、家庭の事情についても十分配慮しておくことの必要性が認められます。

(3)有効な出向命令とは

 以上より、出向命令が有効とされるためには、出向命令権の法的根拠が存在し、更に、具体的出向命令が人事権の濫用にあたるような不当なものでないことが必要です。

(2)懲戒権限の存在

 第2に、懲戒解雇などの懲戒処分を行うためには、そのための権利が会社側になければなりません。裁判例として、「たとえ(労働基準法第89条による就業規則作成義務のない)従業員10人以下の小企業であっても、懲戒解雇事由につき就業規則、労働協約等に具体的定めが存しない場合には、使用者は従業員を懲戒解雇しえない」としたもの(洋書センター事件=東京高判昭61.5.29労判489号89頁)があります。

 したがって、例えば出向命令違反を理由に懲戒解雇をするのであれば、就業規則、労働協約などにおける定めのなかで、出向命令違反などの業務命令違反が懲戒の対象となること及び制裁手段として懲戒解雇が行われ得ること、が規定されている必要があります。

 就業規則の懲戒規定例としては、「『正当な理由なしに、業務上の指示、命令に従わず、又は、当社の風紀、秩序をみだしたとき』は懲戒解雇に処する(日本ステンレス・日ス梱包事件=新潟地高田支判昭61.10.31労判485号43頁)」、あるいは、「次の各号の一に該当する行為をし、又はしようとしたときは、懲戒解雇に処する。……『1 正当な理由なしに、業務上の指示、命令に従わなかったとき』」などが考えられます。「出向命令」は上記規定例中の「業務上の命令」に含まれますので、「出向命令」違反は、「業務上の(指示)命令」違反として懲戒解雇事由に該当することとなるのです。

(3)懲戒処分の程度

 第3に、具体的に問題となっている出向命令拒否と懲戒処分との間でバランスがとれている必要があります。たとえ出向命令に対する拒否が懲戒解雇の対象になると就業規則などで規定されていても、実際の従業員の出向命令拒否に対する処分として懲戒解雇が適切であるかどうかは別問題です。この点、一般的には出向命令の拒否は業務命令違反であり、企業秩序にとって重大な規律違反行為と考えられますので、懲戒解雇という処分も相当と解されます。ただ、具体的ケースで、労働者の出向命令拒否にそれなりの理由があるような場合については、懲戒解雇という処分ではバランスを失した重すぎる処分として許されない場合もあります。

 ◆退職金不支給は例外的な場合に限られる

 また、懲戒解雇自体が許されるとしても、退職金の不支給に関しては異なる判断が必要です。懲戒解雇の場合には、通常、退職金が全額又は一部不支給とされます。しかし、裁判例によると、退職金の全額不支給又は一部不支給が許されるのは、従業員のそれまでの功労を完全に又は一部消滅させてしまうほど著しい背信的な行為がなされた場合に限られます(例えば、日本高圧瓦斯工業事件=大阪高判昭59.11.29労民35巻6号641頁)。したがって、出向命令の拒否に基づく解雇の場合でも、退職金の支給・不支給に関しては、具体的なケースごとに慎重な判断が必要です。

 ◆本件質問の場合

 有効な出向命令を拒否した従業員に対しては懲戒処分を行えますし、また、懲戒処分として懲戒解雇を行うことも可能です。ただし、懲戒処分を行うためには、上記で述べたように、懲戒処分に関して就業規則などに定めをおいておく必要があります。すなわち、出向命令違反が懲戒の対象となり得ること、その場合、懲戒解雇の可能性が存することなどが定められていなければなりません。

 本件の場合、そのような定めがあったとすると、Aに対して、懲戒処分ができます。ただ、懲戒処分の程度は対象行為に関して相当なものである必要がありますので、例えば、出向命令拒否に相応の理由がある場合などについては、懲戒解雇が重すぎる処分として無効になる可能性もあります。

 本件では、当該出向により母の病状の悪化が予想されたり、看護に著しい支障をきたすなどの事情があれば、出向命令拒否に対する処分として懲戒解雇ではいささか重すぎると考えられ、少なくとも、退職金を不支給とするほどの重大な背信的行為にはあたらないと考えられます。したがって、他の懲戒処分かあるいは普通解雇を行うのが妥当な解決といえるでしょう。また、母親の病状が一進一退で他地への転居を許さない状況であれば、普通解雇や懲戒処分も控えた方が無難です。

 

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