責任を問われない外部監査人
UNACCOUNTABLE EXTERNAL AUDITORS
『金融危機』における彼らの役割−前編−
Their Roles in the ‘Great Economic Meltdown’ Part 1 of 2
外部監査人はクライアントの財務状況について正確、公平、詳細な情報を提供しなければならない。しかしながら、数多くの外部監査人の怠慢が最近の『金融危機』の一因となったと筆者は強く主張する。企業財務の外部監査に関する米国制度の抜本的な見直しが必要だと彼は述べる。
ギルバート・ガイス(Ph.D.、CFE):著
Gilbert Geis, Ph.D., CFE
スザン・ウィル(Susan Will), スティーブン・ハンデルマン(Stephen Handelman)、デービッド・C・ブラザートン(David C. Brotherton)編集、『HOW THEY GOT AWAY WITH IT』より抜粋。(Copyright 2012 Columbia University Press. Used by arrangement with the publisher. All rights reserved. )
証券取引委員会(Securities and Exchange Commission, SEC)は、無鉄砲な行動、不正行為、金融犯罪が総じて、2008年以降『金融危機』として知られるようになった出来事を引き起こした投資銀行はじめその他の無責任な事業体の監視を怠ったとして、非難を浴びせられてきた。
恐らくは、低所得者向けの住宅ローン制度が十分に整備されていなかったことが原因で、SECはサブプライム・ローンという不正な商売に関与する不動産ブローカーや金融機関の好き勝手な行き過ぎた行為と、不良住宅ローンデリバティブを熱心に売り込むウォール街の投資会社をせき止めることができなかった。そして偶然ではなく、投資家の多くが不可解で汚れた紙切れから、非常に大きな利益を上げていたのだ。
さらに、この金融危機に加担したにもかかわらず、主として表舞台から降りることのできた企業や関係者が他にも存在した。その一つが本記事の主題である、クライアントの財務状況について信頼性のある情報を提供するはずの外部監査事務所である。
今回の経済不況における会計士の責任については、これまでほとんど取り扱われていない。ニューヨーク・タイムズ紙(The New York Times)のビジネス欄に掲載された記事が例外であった。当記事は、財務会計基準審議会(Financial Accounting Standards Board)といった専門組織により公布・擁護されている緩んだ規則について取り上げていた。『会計士が我々の判断を誤らせたことで危機に導いた』という大見出しは多くを物語っている。同記事には、効果的な改善策が講じられなかった場合を予知し、『これは再び起こり得る』と小見出しに書かれている。(Norris 2009, B4, http://tinyurl.com/8hld6e6)。
以下のページでは、企業財務の外部監査に関する米国制度の抜本的な見直しが必要だという、私の意見を裏付ける証拠を述べる。
ラコフの措置 (THE RAKOFF REMEDY)
今回の金融危機における救済措置の一つは、米財務省(U.S. Department of the Treasury)が裏で熱心に働きかけたバンクオブアメリカ(Bank of America)と破綻寸前のメリル・リンチ(Merrill Lynch)の合併であった。自身も政府ローンの受給者であるバンクオブアメリカは、2社の合併を承認しなければならなかった株主たちに、メリル・リンチが法外とも言える額の報酬を支払うこと(これは結果として買手であるバンクオブアメリカにとってメリル・リンチの価値を下げることになる)を報告しなかった。2008年第四半期、メリル・リンチは150億ドルの損失を出したにも関わらず、幹部らの報酬資金に36億ドルを割り当てていた。
SECはこれらの事実を株主に隠していたとして、バンクオブアメリカを民事裁判所に訴えた。同社は3,300万ドルの罰金で和解することに同意した。この取決めを確定するには、連邦地方裁判所の裁判官の承認が必要だった。ちょっとした気難し屋で評判のジェド・ラコフ判事(Judge Jed Rakoff)は、これに反発した。判事は、企業が罰金を支払うにあたり、報酬支給について説明を怠った弁護士から資金を回収するのではなく、なぜ株主から回収するのかを何よりも知りたかったのだ。あるいは、故意または過失によってこれを可能にしたバンクオブアメリカの幹部らをなぜ罰しないのか、とラコフは述べている。彼はこの和解案を否認した(SEC v. Bank of America 2009, http://tinyurl.com/9brjjww)。
しかしながらその5ヵ月後、元の和解案よりさらに高額の資金を株主から取り上げる結果となる1億5,000万ドルの和解に、ラコフは「不本意ながら」も同意した。この新しい和解案は「理想に程遠い」ものであることを認めながらもラコフが折れたのは、ニューヨーク州司法長官がバンクオブアメリカと合併協定に関わった個人らを刑事告発する可能性が高まったためだった。告訴は未だ実現していない。
2人の事件記者は、当時の財務長官ティモシー・ガイトナー(Secretary of the Treasury Timothy Geithner)と当時ニューヨーク州司法長官を務めていたアンドリュー・クオモ(New York State Attorney General Andrew Cuomo)が、既に不安定な市場をさらに混乱させるであろうという理由から、同2社またはその幹部らを刑事告発しない取り決めを交わした、と主張している(Morgenson and Story 2011b; http://tinyurl.com/3nqz2la)。
この2人の記者はその後、司法省(Department of Justice)がホワイトカラー犯罪者に対しては「訴追延期合意」、つまり品行方正を保つか、さもなければ遅延して起訴するという警告を奨励する指針を採用したと指摘している(Morgenson and Story 2011a; http://tinyurl.com/6e8bw4u)。
特筆すべきは、マスコミに全く報道されることのなかったバンクオブアメリカの和解内容の一つだ。それは、翌3年間は、役員報酬議案を総会に上程し株主による非拘束的決議を受けることと、同期間中に第三者の独立した「開示責任者」を指名し、この人物は同社の公示の妥当性に関してバンクオブアメリカ取締役会の監査委員会に対してのみ報告を行うという取決めである。そしてラコフは、この監視案に次のような興味深い要素を付け加えた。
「これらの予防策をさらに強化するために、2010年2月8日の審理で裁判所は、バンクオブアメリカが、第三者の独立した監査人と開示責任者を決定する際、単にSECに打診するだけでなく、SECの完全な同意が必要であり、両当事者がその選択に関し同意しない場合は裁判所が最終決定権を持つものとする、という提案を行った。2010年2月16日付けの書簡は、両当事者がその後これらの提案に同意したとしており、その結果、この点を含む和解案の修正版を裁判所に提出するものとする(SEC v. Bank of America 2010, 3)。」
このように、クライアントの財務状況の綿密な監視における外部監査人の重要な役割をラコフが認識したことは、最近の金融危機とそれ以前のビジネス不祥事における非常に重要なサブプロットを立証している。
マドフ大混乱 (THE MADOFF MAELSTORM)
マスコミ、特にテレビにとって、金融危機の要因を明確に把握するのは困難な仕事であった。合成債務担保証券といった難解な金融取引からは、興味をかき立てるようなイメージが作り出せなかったのだ。また、ラコフ判事が改善策を作成するに至った問題は、全く注目を浴びなかった。アメリカン・インターナショナル・グループ(American International Group, AIG)をはじめとする大手保険会社やゴールドマン・サックス(Goldman Sachs)、ベアー・スターンズ(Bear Stearns)、リーマン・ブラザーズ(Lehman Brothers)といった投資銀行によるはなはだしい不始末と無責任なリスクテイキングにも関わらず、おそらくは違法であり確実に浅はかな企業活動を示唆する会計のごまかしになぜ外部の監査人が気付かなかったのかという疑問は一度も沸き起こることはなかった。また、起こっている出来事について官僚や国民になぜ警告しなかったのかという疑問も挙がらなかった。
バーナード・マドフはある意味で、最もマスコミの注目を浴び検察の厳しい捜査の対象となった。なぜなら、彼のポンジースキームはあまりにもずうずうしく愚かで、加えてその被害者の多くがかなりの有名人だったからだ。またマドフ自身も視聴者と読者を満足させるような鮮明な描写が可能なほどの豪華なライフスタイルを持った人物だった(例:Arvedlund 2009; Kirtzman 2009; Kotz 2009; LeBor 2009; Markopolos 2010; Oppenheimer 2009; Ross 2009; Sander 2009; Strober and Strober 2009参照)。今回の金融危機の中で、マドフ事件が唯一根本的な疑問を呈した事件であった。その疑問とは、「一連の出来事の最中、外部監査人はいったいどこにいたのか」というものである。
マドフはおよそ150億ドルから650億ドルに及ぶ不正で約8,000人の投資家を騙したとされている。その正確な金額は情報源によって異なる。彼は不正を40年以上に渡って行い、清算を求めるクライアントに対しては新たなクライアントから得た資金でそれを賄い、持株や架空の高利益の詳細が書かれた明細を定期的に送っていた。
マドフのクライアントは明らかに、彼の会社の帳簿を監査する人物または組織に関して詳しく調べるという、適切な注意を払おうとは一切考えなかった。もしクライアントらが注意を怠っていなければ、1991年以来マドフの帳簿の会計監査を行っていたのはマンハッタン郊外に小さなオフィスを構えたフリーリング&ホロヴィッツ(Friehling & Horowitz)にいる事務所唯一の49歳の会計士、デービッド・G・フリーリング(David G. Friehling)であることはすぐに分かっただろう。ジェレミー・ホロヴィッツ(Jeremy Horowitz)はフリーリングの義父で事務所の共同設立者であり、退職してフロリダで暮らしていた。彼はマドフに懲役150年の判決が下されたその日に癌で死去している。
フリーリングは警察・検察当局の格好の標的だった。検察側は、マドフの会社の資産が10億9,000万ドルで負債が4億2,500万ドルだとするSECに向けた報告書に彼が承認の署名をした点について指摘した。この数値は偽りだった。彼は2009年11月、証券および投資顧問に係る不正の訴因、SECに虚偽の申告をしたとする4つの訴因、マドフと複数の未確認人物の確定申告を偽ったという理由で連邦税法の執行を阻害したとする3つの訴因に対し、有罪を認めた。
フリーリングは、マドフからの支払いと彼がマドフの会社に投資していた金額の合計である318万ドルの罰金を言い渡された。彼は、マドフがポンジースキームを行っていたとは全く知らなかったと言っている。フリーリングはバーナード・L・マドフ投資証券(Bernard L. Madoff Investment Securities)への投資で個人的に50万ドルの損失を被ったとして、こうした自身の主張を裏付けようとした。彼は、マドフの会社から渡された書類を額面通りに受け止め、ゴム印を押したと述べている。このような好意的な仕事に、フリーリングは2004年から2007年にかけて毎月1万2,000ドルから1万4,500ドルの支払いを受け取っていた。フリーリングはその他のマドフ関連の事件で検察に協力することに同意し、結果、彼の判決は延期された(Bharara 2010)。彼は最高で懲役114年の刑に直面している(Bray 2009, http://tinyurl.com/8ho6r3x)。
スタンフォード投資銀行 (STANFORD INVESTMENT BANK)
マドフのポンジースキームの仲間はテキサス州在住の億万長者、スタンフォード・インターナショナル銀行(Stanford International Bank, SIB)のR・アレン・スタンフォード(R. Allen Stanford)だ。最高財務責任者、ジェームズ・M・デービス(James M. Davis)と共に、スタンフォードはSECが言うところの「継続的に行われた巨額の」不正を行っていた。マドフ同様、彼は監査に対しいいかげんであったようだ。スタンフォード・グループの本社は島国であるアンチグアバーブーダの首都、セントジョンズに位置し、かつて小説家サマセット・モーム(Somerset Maugham)がコートダジュールを「影が多くいかがわしい人のための日向(a sunny place for shady people)」と表現した言葉にピッタリ当てはまる場所だ。
アンティグアは長い間、オフショアで不法にオンライン賭博を行うアメリカ市民にとって魅力的な場所だと考えられてきた(Pontell, Brown and Geis 2007, http://tinyurl.com/9zd23y7)。また同地は、アンティグアからバーブーダ島を買い取り、米国に送還されるのを避けようと試み失敗に終わったロバート・ヴェスコ(Robert Vesco)の一時的な避難所だった。ヴェスコは悪徳極まる財務不正で起訴されていた(Herzog 1987)。
スタンフォード銀行はそれが「譲渡性預金証書」と呼ぶ商品を、約80億ドルに及んで中央アメリカや北アメリカの投資家に販売していた。皮肉なことにスタンフォードは、マドフとの無関係を主張したことでつまずくこととなった。しかしSECの捜査官はよく分かっていた。スタンフォードが投資資金の一部をマドフの会社に預けていたことを知っていたのだ。またSIBはその「分散化されたポートフォリオ」が数年続けて全く同じ利益を出すという、SECが雇った専門家に言わせると「不可能な」申告をするなど、スタンフォードはかなり不注意だった。
調査ブロガー、アレックス・ダルマディ(Alex Dalmady)は、ベネズエラの金融雑誌『Veneconomy Monthly』の記事でSIBの事件を初めて暴露した。ダルマディはその記事を『アヒルの話』と題し、もしアヒルのように見えアヒルのように鳴くのであれば、もし物事が明らかに詐欺であれば、前者はアヒルで後者は詐欺である、という古い諺を引用している(http://tinyurl.com/9bsnnup)。彼は、PwCとKPMG同様にアンティグアにオフィスを構えていたにも関わらず、SIBの監査人は72歳の男が社長を務める島の会計事務所で、この社長がSIBの帳簿を少なくとも10年間管理していた点を指摘した。ダルマディはスタンフォードの事件には「法は脱却されるために作られる(Hecha la ley, hecha la trampa)」というスペイン語の諺が当てはまると述べた(Dalmady 2009, 14)。
SECの訴状がスタンフォードの事業を特徴付けるこうした監査の茶番を簡潔に要約している。
このような不可能な投資成果は、投資家への保証に反して、SIB投資ポートフォリオの大部分の詳細を知っていたのは、スタンフォードとデービスのせいぜい二人だけであったという事実によってより疑い深いものとなっている。そしてSIBは当該ポートフォリオに対する真の、独立した調査を防ぐために、どんな苦労も惜しまなかった。例えば、長期にわたる監査人は本監査事務所の社長とスタンフォードの間にある「信頼関係」を基に続けられていたとのことである(SEC v. Stanford International Bank, Ltd. 2009, 2, http://tinyurl.com/d6jyra)。
アーサー・アンダーセンの解剖 (AN AUTOPSY ON ARTHUR ANDERSEN)
エンロン(Enron Corporation)とその監査人でコンサルタントのアーサー・アンダーセン(Arthur Andersen, LLP)の癒着関係は両者間の賑やかな社交イベントや転職を助長していたかもしれないが、同時に両2社の破綻にも大きく起因した(Squires et al. 2003; Swartz and Watkins 2003; Toffler and Reingold 2003)。検察側が死刑と見なされるに値する程の刑を両社に科したか、または、彼らのこの世からの消失が自殺であったのかは議論の余地がある。
有限責任事業組合アーサー・アンダーセンは、1913年に設立された。そして2000年までには、1989年から1998年の間に「ビッグファイブ」として知られた大手監査事務所の一つに数えられるようになった。アンダーセンは1985年にエンロンの仕事を始め、最終的には監査及び顧問料として主要クライアントであるエンロンから年間5,200万ドルを受け取っていた。
時が経つに連れ、政府当局はアーサー・アンダーセンが幾度も繰り返す不正行為にうんざりするようになっていった。同社は1997年、コネティカット州ウェストハートフォードのコロニアル・リアルティ(Colonial Realty)の破綻で何百万ドルもの損失を被った投資家に対して与えた助言を巡って、30を超える訴訟の被告となっていた。アンダーセンは同件の和解に9,000万ドル以上を支払った。またエンロンに係る不祥事の1年前には、サンビーム(Sunbeam)の株主らによる集団訴訟の和解に1億1,000万ドルを費やした。
さらに、アンダーセンの会計士らはアリゾナ州のバプテスト財団(Baptist Foundation of Arizona)によるポンジースキームに気付かなかった。そのため、同件の和解に2億1,700万ドルを支払うこととなった。加えて2001年には、ウエイスト・マネジメント社(Waste Management)の損益計算書を不適切な会計処理を用いて「故意または無謀に」14億ドル膨らませたとして、その訴訟で2億2,900万ドルを支払った(Laufer 2006, 45)。
SECの執行局長、リチャード・ウォーカー(Richard Walker)は、ウエイスト・マネジメント社の違法は「アーサー・アンダーセンとその経営陣が企業の経営者らに立ち向かうことができなかった」という事実に起因していると述べた。同件の和解の一部として、アンダーセンはこうした行為への関与を禁止された。米副司法長官は最終的にアンダーソンの刑事訴追を決定するに際して、「容疑の深刻性」及び「同社のこれまでの不正行為」を含む、数多くの事柄を考慮したと述べた(Laufer 2006, 45)。
エンロン事件に係るアンダーセンの訴訟では、政府がエンロンに疑いの目を向けているのをアンダーセンの弁護士と経営陣が知った後、ヒューストン、オレゴン州ポートランド、シカゴ、ロンドンの各事務所で関連資料がシュレッダーにかけられたことに焦点が置かれた。約3万のメールやコンピュータのファイルほか、1トン以上の資料が破棄された(Chase 2003)。
アンダーソンの敗訴後、そのクライアントは他の会計事務所へと移っていき、同社は破綻した。この事件は誠実さを売りにする会社が不名誉な刑事責任に対していかに脆弱であるかを示すものだ(Chaney and Philipich 2002, http://tinyurl.com/9szes3h)。興味深いことに米最高裁判所は、関係資料をシュレッダーにかけたことはただの日常業務にすぎないという点を政府が十分に証明しなかったとして、アンダーセンの有罪判決を不当なものとした(Arthur Andersen LLP v. United States 2005; Spalding and Morrison 2006, http://tinyurl.com/8ukhrfw)。しかし遅すぎた。ビッグファイブはもはやビッグフォーになっていたのだ。
スティーブン・ロソフ(Stephen Rosoff)とその同僚らはエンロン・アンダーセン事件を次のような適切な言葉に集約している。「アンダーセンは今では、自身が犯したことを『判断ミス』と称して認めている。しかし、格子縞のシャツに縞柄のネクタイをするのも『判断ミス』だと答えることもできる。アーサー・アンダーセンのしたことは犯罪だ」(Rosoff, Pontell and Tillman 2007, 310)。
アンダーセンの元社員は、同社の監査チームの一員として行った初めての仕事について詳しく話してくれた。ヴィンセント・ダニエルズ(Vincent Daniels)(彼は後に投資会社の破綻に際する空売りで大もうけをすることになる)は、クライアントであるソロモン・ブラザーズ(Solomon Brothers)の帳簿の不透明さに驚愕した。彼も同僚も、ソロモンが何をして、なぜそうしているのか、理解できなかった。このような仕事を割り当てられた会計士が、その会社が黒字か赤字かを正しく判断するのは不可能であり、ソロモン・ブラザーズの帳簿は絶え間なく動く隠れた歯車のついた巨大なブラックボックスだと、彼は結論付けた。ダニエルズの上司は、彼同様に実態が見えていなかったにも関わらず、あれこれ質問するのを辞め、仕事をするために雇われたのだからとにかくベストを尽くすようにと、最終的にダニエルズに命じた(Lewis 2010)。
こうした幾度となく繰り返される短い逸話は、保守的な連邦判事で評判の高い経済学者リチャード・ポズナー(Richard Posner)による次のような最近の見解を象徴している。「会計士は監査先の企業に雇われているため、クライアントの債務不履行のリスク報告に消極的だ。監査人が調査する資料でこれらリスクが開示されていないことも確かだが、時には開示されていることもあるのである」(Posner 2009, 94)。
会計士が財務状況の実態を正確に評価するのを不可能にするため、企業はしばしば情報を隠蔽するというポズナーの見解は、前述したソロモン・ブラザーズの監査におけるヴィンセント・ダニエルズの嘆きと一致するものであり、良く耳にする意見である。
我々は避けられない問題に直面している。企業の「独立した」外部監査はまったく無意味なのではないか。プラス面では、一部の企業は時として(おそらくは特に、ビジネスが順調に行っている時に)その財務状況と経営に関して誠実な評価を提示しようと努力する可能性が高い点が挙げられる。しかし反対論者が決まって口にするのは、企業が関連事実を隠蔽した場合、企業の実態に関して外部監査人の調査の正確性に依存する外部の者達は騙されることになるという議論である。この場合、監査人の報告書は不体裁なものを隠すイチジクの葉に過ぎない。こうした状況へのよりよい対策が必要なのは間違いないのだ。あるいは一部の者が言うように、外部監査自体を放棄することを考慮すべきなのかもしれない。
アーサー・アンダーセンの摘発は憂慮すべき出来事であったが、次のような研究がこれにさらに油を注ぐこととなった。その研究は、ほぼ全ての大手米国企業の外部監査を担う一握りの会計事務所と比べて、アンダーセンはまだい良い方だと結論付けるものだった。トーマス・アイゼンバーグ(Thomas Eisenberg)とジョナサン・マーシー(Jonathan Macey)は、監査上の不正行為を測定するものとして1997年から2001年の修正再表示を複数選択し、「企業は財務諸表の作成に当たった監査人チームを捕まえ、不適切な会計処理を黙認させるか、あるいは実質的に誤った会計報告書の作成に積極的に参加させている」と結論付けた。そしてより肝心なことに、アンダーセンのクライアントの修正再表示の割合は、他の会計事務所と統計的に何ら変わらなかった(Eisenberg and Macey 2004, 264, http://tinyurl.com/9ubjmag)。
アイゼンバーグとマーシーは会計事務所が仕事の質で互いに競い合うという証拠が存在しないことを発見した。外部監査人はこのところ、訴訟費用削減に力を入れているように見受けられるが、これは一部には有限責任事業組合への移行が起因している。この契約がなければ、本来であればパートナーは訴訟で個人責任を問われる可能性があり、そうなれば彼らはかなり慎重に仕事をし、事務所のメンバー一人一人の仕事をより綿密に監督していたであろうと、アイゼンバーグとマーシーは述べる。
■ FM
後編:経済大崩壊以前の重大事件における外部監査人の失敗。加えて、サーベンス・オクスリー法(Sarbanes-Oxley)及びドット・フランク法(Dodd-Frank)
この記事に対するメリー・ダッジ氏(Mary Dodge)のコメントとアドバイスに感謝する。
ギルバート・ガイス(Ph.D., CFE)はカルフォルニア大学アーバイン校の社会環境学部(School of Social Ecology at the University of California at Irvine)で犯罪学及び法律と社会学科の名誉教授を務めた。また、ACFEの2代目会長でもある。2012年11月10日、死去。 |
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