FRAUD MAGAZINE

グリーンカード売買
GREEN CARD FOR SALE
入国管理当局者の収賄事件
Catching an Immigration Official in a Bribery Scheme

筆者:ジョセフ・T.ウェルズ、(CFE、CPA、博士)
Dr. Joseph T. Wells, CFE, CPA



ジョセフ・T.ウェルズ(CFE、CPA、博士)著
『不正摘発:教訓と戒め』(ジョンワイリー アンド サンズ社刊)より引用。
発行元の転載許諾済み。

John Wiley & Sons, from “Fraud Fighter: My Fables and Foibles,”
by Dr. Joseph T. Wells, CFE, CPA 著作権マーク2011
翻訳協力:岩崎 香奈


萎縮するばかりの移民たち、中国料理レストランでの隠し録音、何も語らなかったイー氏(Mr.Yee)、そして何度も交付した召還令状と、情に厚いルーディ・ジュリアーニ(Rudy Giuliani)……そんなニューヨークでのひとコマ。このエッセイは、ACFEの創始者で議長のジョセフ・T.ウェルズが新たに書き下ろした回顧録に収録されているもので、彼がまだ駆け出しのFBI(米国連邦捜査局)捜査官時代に携わった事件について、捜査手法のみならず多くの教訓を学んだエピソードとして記したものである。


 ニュージャージー州ニューアーク市の移民帰化局(INS=当時)事務所の地域所長(district director)、ハーマン・サイモン・クレッグメイア(Herman Simon Klegmeir)が賄賂を受け取っているという噂が、しばらく前から囁かれていた。INSは、各地方を所管する地域事務所によって米国全域をカバーしていた。米国在住の外国人(外国籍の者)は誰でも原則として、各地域事務所長の管轄・監督下にあった。どこの地域事務所が管轄になるかは、在留外国人が最初に入国手続きを行った場所、もしくは彼らの定住地によって決まっていた。ニューヨークとニューアークはマイアミ、ロスアンゼルスに次ぐ全米最大規模のINS地域事務所だった。

 米国に入国するすべての外国人の申請に、こうした地域事務所が対応していた。事務所長が最終決済権を持ち、実際の実務は部下がこなしていた。外国人はビザで入国し、その後は市民権がなくても滞在期限を延長できる永住権、いわゆる「グリーンカード」(ちなみにカードは緑色ではなく、なぜこう呼ばれているのかはわからない)を取得して定住する。

 捜査にあたり、われわれはクレッグメイアが、グリーンカードを発行する際に賄賂を要求していると考えた。私の同僚のボイド・ハウエル(Boyd Howell)は、ニューヨークのチャイナタウンで動いてくれる2人のINSの協力者を、彼らがより情報を集められるよう指導した。チャイナタウンは背後で中国人マフィアの5つの組織によって事実上仕切られていた。やがてINSの協力者たちは、中国本土出身でこれらマフィア組織の一つのトップに就くと噂されていたベニー・オング(Benny Ong)との関係を築いた。INSの協力者たちがオングと会うときはいつでも、会話をすべて記録できるよう録音装置を持っていた。面談の録音内容は書き起こさなければならず、そこが私の出番だった。通常なら速記要員が書き起こしたが、作業が何ヶ月も遅れたうえ、速記の責任者はハウエルに会話がほとんど判読できないと訴えた。そこでハウエルは私にテープの束を預け、私はテープの束に埋もれながら録音された会話を一語ずつ書き取ることになった。その作業には大変な時間を要した。私は髪の毛を掻きむしる思いだった。面談は常に雑音が多い場所、例えばグラスがぶつかるような音で遮られる中華料理店で行われていた。さらに作業を難しくした理由は、オングのクセの強いアクセント(訛り)だった。

 INSの協力者たちがオングと良好な関係を築いた頃、彼はクレッグメイアが賄賂を受け取っているという話を聞いたことがあると認めた。さらに具体的な話として、チャイナタウンの大通りのモットストリート(Mott Street)で噂されるところでは、クレッグメイアはスタンレー・イー(Stanley Yee)という、ニューヨークで少なくとも十数店舗の飲食店を経営している裕福な中国人オーナーから賄賂を受け取っているということだった。イーは、自分の店で働く従業員の大半が中国本土から来ているので、彼らのグリーンカードを取得するため賄賂を渡していると推察された。問題は、この推察を裏付ける証拠をオングが持っていないことだった。

 ちょうどその頃、ハウエルは彼が希望していた任地への転勤辞令を受け取った。そこはハウエルが異動を望んでいる部署としてFBIの仲間内でよく知られていたスプリングフィールド第7部だった。その部署でFBIのニューヨーク・オフィス(NYO)の業務に加わることもできたし、異動を受け入れないことなどあり得なかった。ハウエルの立場から言えば、あまりさっさとニューヨークを離れるわけにもいかなかったのだろうが、自分が求めていた職場に赴くことを喜んでいた。私の上司のヴィニー・ドーアティ(Vinnie Daugherty)は当然のことながら、改めて私をクレッグメイア案件の担当に据えた。



外堀から固めよ (EAT AROUND THE APPLE)


 ハウエルは多くのことを教えてくれたが、われわれは同じタイプの捜査官ではなかった。彼は私よりも思慮深く、慎重で用心深かった。私は彼よりはるかに若輩でせっかちだったことを認めざるを得ない。私が考えるに、ハウエルはこの事件に時間をかけ過ぎていた。そこで私は最初の出発点に戻ろうと考えた。ハウエルは水面下に潜行して動いたが、私のやり方は違った。

 私が初めに取った行動の一つは、オングとINSの協力者が会うことを中断することだった。インテリジェンス(諜報活動)は著しく後退してしまうが、回数を重ねて面談の記録を書き取ることは悪夢でしかなかった。最初に核心部分から踏み込んでインタビューすることはFBIの手法として定石ではなかった。私はクレッグメイアにすぐに接触したが、案の定、彼は陳述を拒否するだけだったし、私は彼に何も突きつけることができなかった。FBIの手法は、犯罪行為の核心に最も近いところからではなく周辺を固めていくことで核心に近づいていく。すなわち、ある係官はかつて私にこう言った。「捜査官としてわれわれがやるべきことは、リンゴの芯が見えてくるまでかじっていくことだ」

 講義の中で私は、捜査のさまざまなテクニックを紹介しながら、ありふれた質問をする。「どうすれば被疑者に自分が調べられていることを気づかれないか」ひと言で言えば、答えは「不可能」だ。つまり、いずれどこかの時点で被疑者は察知する。しかし、そのときに被疑者が改ざんできないよう物的証拠を確保していれば、また、口裏合わせができないよう証人たちの証言を取っていれば、捜査の進路を妨げる事態に直面することはほとんどない。

 私は、イーが元従業員たちのグリーンカード取得のためクレッグメイアに賄賂を払っていたことを示す、ある手がかりを持っていた。そこで私はイーの店の従業員たちの記録簿の召喚状交付を依頼するため、当時、連邦検事局の次席検事だったルドルフ・ジュリアーニ(Rudolph Giuliani)と彼の同僚のエド・クリアンスキー(Ed Kuriansky)にこの事案を説明した(そう、後にその名を知られるルーディ・ジュリアーニである)。ジュリアーニは、連邦検事局の検事として評価されていた。起訴可能な事件として成立する見込みがあれば、ジュリアーニはきわめて積極的に動いた。このときの彼がそうだった。

 イーが経営するすべての店舗に対し文書提出命令(subpoenas duces tecum、ラテン語が語源で法廷への記録提出を求めるときにしかほとんど使わない言葉)が出された。これでイーにはほぼ2つの選択肢しかなくなった。つまり、書類を仕方なく提出するか、もしくは提出するまで拘留されるかであった。だがイーは追い詰められるばかりではなかった。イーの代理人弁護士が、無駄な抵抗だったにもかかわらず、ジュリアーニに対し猛烈に反論した。

 従業員たちの記録簿はすべて中国語(マンダリン)で書かれていたため、悪夢のような作業になった。当然ながらまったく判読できなかったので、われわれは給与明細の記録を英訳する要員として中国人通訳者を1人雇った。中国人は通常、3つの名前を持ち、姓が最初にくる形が普通である。例えば、“ユイン・チン・バーン(Yun Chin Bang)”を英語に直す場合、“チン・バーン・ユイン(Chin Bang Yun)”となるだろう。FBIの記録管理は、人名ファイルでも蓄積されている。過去の捜査で浮かび上がった主な関係者、例えば被疑者や共犯者、参考人などの名前がすべて索引順に収録されている。どの事件でもまさに最初の段階で、このファイルに当該人物の名前が載っているどうかを調べることが通例だった。当時はコンピュータがなく、FBI全体のデータを網羅した索引もなかった。そのため、もしニューヨーク在住の人物がロサンゼルスで事件に関係した場合、ロサンゼルスに問い合わせてそこが持っている索引をチェックすることになる。要するに時間のかかる場当たり的な状況だったのである。(現在はコンピュータ化により全米を網羅したデータの一括検索がほぼ瞬時にできるようになっている)

 私は中国名の配列を決める適切な方法に自信がなかったため、それぞれの名前について、事務官たちに6通りの方法で探してもらった。(すなわちファーストネーム、ミドルネーム、ラストネームの配列組み合わせの一覧表を使った)。私も事務官たちも気が狂いそうだった。しかしすべてはムダに終わった。索引ファイルからは何の成果も得られなかった。そこで私は、INS側カウンターパートのソル・ソルツバーグ(Sol Solzberg)に数百の名前を収録したリストを引き渡し、記録を調べてくれるように頼んだ。ソルツバーグは少し風変わりな男だったが私は彼にとても好感を持っていた。私がニューヨークに着任して間もない頃、私たちは初めての対面に、手軽な朝食を取る場所を選んだ。すかさず彼は私に言った。「君は明らかにニューヨーク出身ではないな」「なぜ」と私は聞いた。「交差点に立っている君を見ていたよ」彼は答えた。「2つ理由がある。まず、君は信号が青に変わるまで待っていた。二つ目は、足を踏み出すとき犬の糞を見ていなかった。生粋のアメリカ人なら君のようにはしないものだ」

 ソルツバーグは犯罪捜査官ではなかった。50代前半で太り気味で、結婚した経験がなく母親と暮らしていた。彼は悪者を追及する作業に高揚し、すぐに取り掛かった。結果は、有益だった。イーの店の十数人の従業員について、ある共通項が浮かび上がった。彼らは全員がニューヨーク港からビザで入国し、その後ニュージャージー州に引っ越した旨を届け出る文書を順次INSに提出していた。さらにニューアークの記録を照合したところ、彼ら全員がほかでもないクレッグメイアからグリーンカードの発行を受けていた。

 私は、INSの地域事務所長自身が直接グリーンカード申請書に承認サインをする事例がどのくらいあるのかを尋ねた。

 「30年間INSに勤務しているが、そんな例は聞いたことがない」とソルツバーグは答えた。

 ひとたびクレッグメイアがこれら中国人たちのグリーンカード発行を承認すると、彼ら全員が適宜、再びニューヨークに引っ越した旨を届け出る文書をINSのニューアークとニューヨークの事務所に送り、彼らの登録ファイルの移動を申請していた。さらに興味深いことには、彼ら全員の申請書に推薦人としてイーの名前が記載されていた。

 何が行われていたのか、顔に鼻があることのように明白だった。実際には誰もニューヨークから引っ越したことはなく、すべてはクレッグメイアがグリーンカードを発行するためニューアークに書類だけを移した偽装だった。この収穫を踏まえて、私はイーとの面談を試みた。彼が面談を拒絶したことは予想どおりだった。私は新しい情報を携えて再びジュリアーニの元に出向いた。

 「これはいけるよ、ジョー」とジュリアーニは言った。「イーを大陪審に引っ張り出そう」それはまさしく私が望んでいたことだった。もっと圧力をかけるため、ソルツバーグはイーに関して、INS規則に抵触するいくつかの違反事案を迅速に見繕った。イーは米国に帰化して久しかったため、これらの違反はイーを国外退去させるには至らない。それでもジュリアーニとクリアンスキーが大陪審でイーを揺さぶる材料の足しになった。



大陪審の尋問 (THE GRAND JURY GRILLS)


 イーは証言の場面ですべてを否認した。賄賂を贈ったことのみならず、彼が経営する中華料理店にクレッグメイアという後ろ盾がいることも、法令違反さえも認めなかった。このこと自体はやはり驚くに値しなかったが、われわれは手順に従わなければならなかった。イーはかろうじて、クレッグメイアがイーの配下にある店で食事をしたことを認めただけだった。われわれはイーの銀行口座情報も入手していたが、それはイーがきわめて裕福であることを裏付けるだけだった。

 何も収穫がないままクレッグメイアの番になった。クリアンスキーは大陪審にクレッグメイアを引っ張り出し、1時間ほど質問攻めにした。クレッグメイアはイーがただの知り合いだということ以外は何も認めなかった。一方、イーのINS規則違反についてはどんなことでも、ひたすらイーを非難した。クレッグメイアは、なぜ中国人移民のグリーンカードを直接承認したのかについては、通常の業務として処理したと説明した。クレッグメイアはイーに対するどんなえこひいきも否定した。唯一の有益な情報は、被疑者の銀行口座(少なくとも彼が認めた分について)の所在だった。われわれは彼が利用している金融機関から口座情報を押収した。

 賄賂のような不正利得を、自分の実名の銀行口座に保管しておくはずがないと思うだろう。それでも、長年の不正調査の中でそういう事例はたびたび見られた。しかしクレッグメイアの場合は、彼の銀行口座の記載事項から疑わしい事象は何も見受けられなかった。われわれに対するクレッグメイアの警戒もまた驚くべきことではなかった。

 私はなおも十数人の中国人移民にインタビューをした。この時点でも、インタビューを難しくする2つの理由があった。まず、言葉の障壁が大きな問題として立ちはだかっていた。FBIのニューアーク事務所の捜査官、ジョージ・プロクター(George Proctor)がインタビューで私を補佐してくれた。しかし彼も中国語は話せなかった。そこでわれわれは、かなり速度を落とすことになる通訳を使わなければならなかった。インタビューがはかどらなかった2つ目の理由は、中国人移民の習性を考慮に入れなければならなかったことだ。移民たちは警察(警官)をひどく怖がるものだ。われわれが質問をすると、ほとんどがガタガタと震え、スナップ写真についての質問にさえも容易に答えられなかった。

 インタビューでは、彼ら全員から銀行口座情報を聞き出したことを除き、収穫を得られなかった。そこで私はさらなる召喚状を求めて再びジュリアーニのもとに出向いた。彼はしびれをきらしていたし、私も同様だった。膨大な手間暇をかけながら何の実質的な成果もなかった。クリアンスキーは書類精査業務を取り仕切った。クリアンスキーに状況を説明したとき、彼は私が必要としていた12件ほどの召喚状を出してくれた。



証拠は何も持ってない (YOU DON’T HAVE ANYTHING)


 移民たちの銀行口座の記録には、きわめて異常なパターンが現れていた。移民たちは誰も当座預金口座を持っていなかったが、全員が預金を持っていた。彼らの預金がなけなしの稼ぎから捻出されていたことは明らかだった。われわれは預金の引き出し状況から重大な発見をした。どの移民もそれぞれ判で押したように10,000ドルを引き出していた。しかもそれらの引き出しはいずれも、クレッグメイアがグリーンカード発行を承認する1週間ほど前に行われていた。これが何を意味するかは明らかだ。移民たちは間違いなくイーを通して、クレッグメイアにカネを支払っていた。彼らが支払う金額にイーがいくらか上乗せしていたかどうかはわからなかった。仮にイーが足していたとしても、彼の銀行口座明細からはわからなかった。

 私はジュリアーニにこの情報を伝えるため、興奮しながら打ち合わせを設定した。彼の狭苦しいオフィスに行くと、ジュリアーニはクリアンスキーにも来るように電話をかけた。ジュリアーニの机の上にはたくさんの書類が広がっており、ほかの事件で苛立っていた様子が見て取れた。それにもかかわらず彼は、私が発見した情報を注意深く聞いてくれた。私が話している間、ジュリアーニは指を組んで顎の下に当てていた。

 私が話し終えてもジュリアーニは黙っていた。そしてクリアンスキーの顔を見たが何も言わなかった。彼らは微かにうなずき合った。そして私に目を移し、クリアンスキーが言った。「ジョー、よくやった。君は手を尽くしたよ。クレッグメイアがイーから賄賂を受け取っているという君の見立てにわれわれも同じ意見だ。だが君は、イーがクレッグメイアに手渡したカネをクレッグメイアのポケットから確認できない限り、何の証拠も持っていない。それはわかっているはずだ」

 私はジュリアーニを見つめた。当時の彼はまだ髪の毛が豊かだったが、それがいつまでも続かなかったことは知っての通りだ。ジュリアーニはいつもおいしい食事にこだわっているようだった。私はあれこれ考えながら自問自答していた。ジュリアーニは1着の青いスーツと1枚の白いシャツしか持っていないのだろうか、それとも同じ物をたくさん持っているのだろうか。私は、別のスーツとシャツを着ている彼を見たことがなかった。彼が沈黙を破った。

 「ジョー、私もエドに賛成だ。君はこの事件に精一杯取り組んできた。その結果、イーにさらに圧力をかける手立てを見つけたかも知れない。確かに彼はカギだ。しかしもしこれでうまくいかなければ、この事件は見送りだということを忠告しておきたい」 彼は慎重に言葉を重ねた。

 私は彼らの意見が正しいことはわかっていたが、まだ受け入れがたかった。そのときの私の失望ははっきりと顔に現われていたに違いなかった。

 私が立ち上がるとジュリアーニは椅子を離れ、やさしく私の肩を叩いた。そして「すまないな、ジョー」と言った。

 オフィスから通りに出ると、真昼の強い陽射しがダウンタウンに降り注いでいた。私はまるで胸を蹴られたような思いでゆっくりとアップタウンに向かって歩き始めた。気持を落ち着かせて、これからどうすれば良いのかを考えるには打ってつけだった。歩きながら気を取り直した。



揺さぶりをかける (APPLYING THE PRESSURE)


 NYOに到着した頃にはだいぶ落ち着いていた。そしてある計画を練っていた。ジュリアーニとクリアンスキーが示唆したように、イーに揺さぶりをかけることだった。私はまさにそれを実行するつもりだった。イーに電話をして面会を求めたところ、彼の弁護士はイーが面会に応じるつもりはないと言った。

 そこで私は数日後、イーが今どこにいるのかを把握するため数ヶ所に電話をかけた。イーはミッドタウンにある彼の経営する店の一つにいた。私は、用意していた重要な書類を持ってイーのところに出掛けた。私を見てイーは不意をつかれたようだった。彼は私の訪問を歓迎していなかった。私はイーの小じんまりした事務所で内密に話したいと頼んだ。「イーさん」と私は切り出した。「クレッグメイア氏の一件であなたが連邦大陪審で偽証したことはわかっている」。イーはそれに対して何も言わなかった。「あなたの偽証をわれわれが明らかにすれば、あなたは拘留されることになる」。イーはなおも黙っていた。「しかしわれわれはあなたを追及しているのではない。狙いはクレッグメイアだ。もしあなたが協力してくれるなら、拘留されないよう当局に要請するつもりだ」。やはりイーは何も言わなかった。「あなたの店の従業員たちがグリーンカード取得のためにあなたを通してハーマンに賄賂を払っていたことはわかっている。それはきわめて重罪だ。われわれがこの犯罪を立証すれば全員が国外退去になるだろう。そんな事態をあなたは望まないはずだ。彼らも中国本土に安心して戻れるわけでなく、拘留あるいは処刑される恐れさえある。私を信じてほしい。私はたとえあなたの協力があってもなくても、この事件を立証するつもりだ」

 私ははったりをかけていた。「イーさん、あなたが協力してくれれば事件の立証はもっと容易になるし、あなたは拘留を免れるかもしれないという利点がある」。ここで私はFBI職員には訴追免除を決める権限がなく、それができるのは裁判官だけであることを説明した。

 「裁判官はこちらの要請を受け入れる可能性が高いし、あなたが事実を話してくれれば、あなたのために訴追免除を要請する」

 イーはしばらくの間、何も言わなかった、私が言ったことをイーはよくわかったはずだと考え、私も黙っていた。

 やがて彼が片言の英語で言った。「私は友人を裏切らない」

 「スタンレー」と私はたたみ掛けた。「これはあなたが拘留を免れる可能性をもたらすし、それによってあなたのレストランを救うことにもなる」

 イーは首を振って再び言った。「私は友人を裏切らない」

 「イーさん、あなたはクレッグメイア氏をかばって拘置されてもよいというのか」。私は聞いた。

 「そうだ」。彼はためらわずに答えた。「私は友人を裏切らない」

 私は少し考えてから、大陪審でのクレッグメイアの供述という奥の手を持ち出した。ジュリアーニやクリアンスキーが決して賛同しないはずの手法である。大陪審での証言には守秘義務が課せられ法律上は漏らしてはならないが、まれに検事自ら漏らす例もあった。

 「イーさん、友人のクレッグメイアはなぜ大陪審でこんな証言をしたのでしょうか」。クレッグメイアは証言の中でイーからカネをもらったことを否定した。しかし、ほかのINS規則違反についてはイーの行為を非難した。イーの英語レベルは話すより読むほうがはるかに上だった。彼は、私が印をつけておいた部分をじっくり読んでから最初のページを注意深く読んだ。その供述調書が大陪審での証言内容を正確に記載したものであることを確認しているようだった。

 私は待ちきれなくなって、「これがあなたの“友人”ですか」と言った。「こんな人物を“友人”と思うなんて、あなたは敵を作らないというわけですか」

 イーは黙ったまま供述調書を私に返した。彼が動揺していたことは彼の顔から見てとれた。彼は言った。「これ以上、言うことはない」

 私は帰ったが、いずれ彼から連絡があるという感触を持っていた。1週間ほど後になって私はイーの弁護士から連絡を受けた。彼が、検事と私に会いたがっているという。私は会合をアレンジした。イーの弁護士とクリアンスキーとジュリアーニ、そして私が部屋に集まった。私はそれまで司法取引に携わったことがなかったため、こういう場面は新しい経験だった。一方、イーの弁護士は私の数倍も多く経験を積んでいたことがすぐにわかった。

 イーの弁護士は言った。「仮に、私の依頼人がクレッグメイア氏を銀の皿に乗せてあなたがたに差し出したとして、イー氏のためにあなたがたはどんな見返りを用意できるのか」

 クリアンスキーは答えた。「仮に、あなたの依頼人がそうしたら、おそらく裁判所は彼の贈賄罪について訴追免除する可能性がある。加えて大陪審での偽証の追及も見送ることになるだろう」

 私は、2人の会話が“仮定の話”で行われていることを怪訝に思っていた。後に私は、仮定の話を用いたその手法が、弁護士たちが互いの出方を見きわめるために用いる手練手管だったことを学んだ。

 幸いなことにイーの弁護士はクリアンスキーとジュリアーニの前で、私が大陪審での証言を漏らしたことには触れなかった。弁護士が帰った後、ジュリアーニは私に尋ねた。「どうやってイーの気持ちを変えたのだ?」

 「ええ、私は彼をやりこめたわけでも脅したわけでもありません」

 「それならどうやったのだ」。エドが聞いた。

 「あなたがたが聞きたくない方法です」と私は答えた。

 ジュリアーニとクリアンスキーの眉が同時に動いた。しかし彼らはもう何も聞かなかった。

 イーが再び、ようやく大陪審に出廷したとき、私は検察官からの連絡でイーとクレッグメイアの共謀が完全に明らかになったことを教えられた。イーはクレッグメイアのカネの保管場所まで知っていた。クレッグメイア自身の名義でテルアビブの銀行に開設した預金口座だった。イスラエルでは米国銀行機密法が適用されていなかったため、クレッグメイアが25万ドル以上もの残高がある口座を確かに持っていたことは、両国の政府機関担当者を通じて確認した。これだけの金額は公務員の給与で蓄えられる額ではない。彼は銀行窓口に行って預金するまでの間、マットレスの下に現金を隠していたのかも知れない。

 その後、大陪審はクレッグメイアを起訴した。審理に先立ち、クレッグメイアは人知れず連邦裁判所に出向いて収賄の罪状を認めた。彼は不正によって得たカネの全額を引き渡すよう要求され、数年の実刑が科せられた。事件は終わった。

 私は正義が通ったことを誇りに思ってはいたが、同時に大陪審の供述を漏洩したことに後ろめたさを感じていた。それは私自身の小さな不正だった。この体験は私が、禁を犯すことなく揺さぶりをかける方法を体得しようと誓った価値ある経験だった。ルールに則った行動でなければ勝利には値しない。そして私はこの一件では、勝ったとは言えなかった。



ジョセフ T.ウェルズ(博士、CFE、CPA)
ACFEの創始者。20冊以上の著著・共著があり、米国の会計情報全国紙“Accounting Today”で「会計業界で最も影響力のある人100人」に9回、選出される。2010年にニューヨーク市立大学シティカレッジ(York College of the City University of New York)より、商学博士として不正対策分野への貢献により栄誉が授けられる。


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