FRAUD MAGAZINE

厄介事にさよなら(後編)
Goodbye & Good Riddance Part 2 of 2
金融機関は将来の資金回収額を過大に見積もっていた
Financial Companies Bloated Estimates of Future Collections

ゴードン・エール 著
By Gordon Yale, CFE, CPA, CFF



1990年代後半から2000年代初頭にかけて、大手金融サービス会社数社が、虚偽の「売却益」を認識した。そのような利益は将来の資金回収額を過大に見積もることにより計上されたもので、迫りくる経済破綻と不正の予兆であった。

本記事は米国公認不正検査士協会の見解を必ずしも示しているものではない。



 将来の会計事象の見積りは、会計操作の対象となり得る。メリーランド州ボルチモアに拠点を置くクレディトラストを例にとろう。この企業は、クレジットカード延滞債権の証券化に絡んだ売却益を基に約8000万ドルの増資を行った。

 クレディトラストは、1997年に約45万6000ドルの純利益を報告した。1998年第1四半期、同社は大幅な増益を公表し、時価総額は前期利益の実に272倍に及ぶ1億2400万ドルに増加した。過去の収益実績だけでは説明のつかないこの時価総額急上昇をもたらしたのは、クレディトラストが新株発行に際して、クレジットカード延滞債権証券化により610万ドルの利益を計上したという情報開示であった。さらに、1999年には、2度目の証券化で740万ドルの売却益を上げたことが報告された後に2度目の増資が実施され、同社の時価総額は1億9000万ドルに達した。

 ところが、証券化による延滞債権売却益は虚偽であったことが判明し、クレディトラストは2002年に連邦破産法11条の適用を申請した。5年以上にわたる訴訟を経て、集団訴訟の原告側は今回の詐欺罪に対して750万ドルの支払いを受けることで和解に至った。しかし、これはクレディトラストが資本市場で調達した額の10%にも満たなかった。(2005年5月6日付のBaltimore Business JournalにRachel Samsが執筆した記事“Judge Gives Preliminary OK for Settlement in Creditrust Lawsuit”を参照)損失額自体は特筆すべきものではないが、クレディトラストが8000万ドルの増資ができたというのは合理性がない。

 1999年初頭には、クレジットカード延滞債権の国内最大の買い手であり、同債権証券化の草分けでもあったコマーシャル・フィナンシャル・サービス(CFS)が破綻した。それにより、3900人が職を失い、約20億ドルに上る証券が紙切れとなった。

 クレディトラストとCFSのケースに共通するのは、過大に見積もられた将来の債権回収額に基づいて、架空の売却益が算出されていた点である。CFSの不正は、内部告発により不正の企てが複数の格付機関に知らされたことで初めて明るみに出た。(Tulsa World via Dow Jones & Company発行、2000年3月18日付Knight-Ridder Tribune Business Newsの記事“Tulsa, Okla. Debt Collection Agency’s Secret Dealing Led to Failure”を参照)

 売却益会計に関する決算修正(誤りを公に認めること)は、クレジットカード延滞債権の証券化にとどまらなかった。自動車ローン会社ファースト・プラス・フィナンシャル・グループやプレハブ住宅ローン会社(manufactured housing lender)グリーン・ツリー・フィナンシャルなどもまた、自社債権の証券化による残余持分価値の切り下げまたは修正を迫られた。

 1997年第3四半期、グリーン・ツリーは約3億4830万ドルの収益を報告し、そのうちの約2億ドルは自社のプレハブ住宅ローン債権の証券化で得た売却益であった。(1997年10月17日付Motley Foolを参照)その売却益計上により、グリーン・ツリーのCEOは1996年にアメリカで最高額の報酬を受け取った経営者となった。しかし、決算発表から数週間も経たないうちに、グリーン・ツリーは残余持分1億5000万ドルに対して1億2500万ドルの評価損を計上することを認めた。(1997年1月27日付Minneapolis-St. Paul Business Journalの記事”Green Tree Has a Record Year”を参照)インディアナ州カーメルに本社を置く金融サービス大手コンセコは、1998年に60億ドル以上を払ってグリーン・ツリーを買収した。このハイリスクかつ役員に高額報酬を払うローン会社の買収は、それまで貪欲に買収攻勢をかけてきたコンセコにとって最大かつ最後の買い物となった。

 1998年7月、コンセコはグリーン・ツリーの買収関連費用として4億9800万ドルを報告した。そのうち約3億ドルは資産証券化におけるグリーン・ツリーの残余持分の減損処理によるものであった。1999年9月にコンセコは、証券化に係る売却益は今後認識しないと発表した。その理由は、主として重大な評価損が慢性的に発生しているためであったが、アナリストが証券化に係る売却益の実現性をもはや信用していないことも一因とされた。この変更により、コンセコは過去6カ月の収益見積りを48%も下方修正しなければならなかった。(1999年9月9日付Wall Street Journalの記事“Conseco Halts Gain-on-Sale Accounting”を参照)

 1999年度末までに、コンセコは残余持分について、ローン管理権(servicing rights,訳注:証券化したローンのサービサー業務履行に伴う手数料を得る権利を資産として計上するもの)も含め約3億4900万ドルの税引後減損費用を計上した。その額は純利益を約37%も押し下げるほどであった。2000年、評価損は3億7000万ドルにまで達し、コンセコは12億ドルを越える純損失を被ることになった。(コンセコの2001年12月期のForm 10-K(以下「年次報告書」)を参照)

 2002年までに、プレハブ住宅ローン事業の業績低迷と莫大な借入金が原因となって、コンセコは証券化市場にアクセスできなくなり、同年12月に倒産した。

 さらに皮肉なことに、コンセコが証券化による売却益を計上しなかったならば、監査人から異議を唱えられ、証券取引委員会(SEC)が同社の会計処理を精査していたであろう。コンセコがグリーン・ツリーの買収をしようとしていた1998年3月、財務会計基準審議会(FASB)の新問題に関するタスクフォース(the Emerging Issues Task Force、EITF)がEITF D−69を発表し、金融資産の売却損益認識は選択的なものではなく、取引の最終的な結果を公正な市場価値に基づいて見積らなければならないと規定した。

 コンセコによる残余持分の減損処理は、不正の発生を証明するものではない。しかし、不正発生の疑義につながるべき事象であり、実際に疑念の目が向けられた。一般に認められた会計原則(GAAP)は、将来のキャッシュフローに影響を及ぼす条件が悪化した場合のこのような減損処理を規定している。この基準は、実質的に、過去に計上した売却損益の全額または一部を取り消す仕組みを提供するものであり、常にタイミングが争点になる。しかし、より重要なのは、前述のような売却益をそもそも計上すべきであったのかという、さらに大きな問題が、これまで十分に議論されてこなかったことである。

 1999年を通じて、評価損額の算式は極めて寛容なものであった。当時の規則では、諸条件が変化した場合、残余持分の所有者は将来のキャッシュフローの見積額を改め、それをリスクフリー金利(通常は同じ償還期間の米国債の利回り)で割り引くことが求められていた。2000年後半、FASBのEITFは新たな指針を発表し、売却益が最初に認識された時点における残余持分の期待利回りを割引率として適用しなければならないと規定した。これは明らかにリスクフリー金利よりも高い割引率であり、現在価値を激減させ、収益を大幅に圧迫する。


利益を生み続ける仕組み (PERPETUAL PROFIT MACHINES)


 サブプライムローン会社ニュー・センチュリー・フィナンシャルも、売却益会計により有力企業へと変貌を遂げた。1996年12月末から1999年12月末にかけて、ニュー・センチュリーの収益は135万ドルから3950万ドルへと大きく伸びた。これは主にオフバランスの証券化取引から生じた売却益計上によるものである。同時期に、ニュー・センチュリーは約7600万ドルの自己資本を集めた。同社の1998年度の収益のほぼ全額(約95%)、1998年度の収益全額の大半(73%)が、証券化により生じた非現金売却益によるものであった。証券化における残余持分は3億400万ドルと、1999年度純利益の約2倍に達していた。

 2001年までに、ニュー・センチュリーはビジネスモデルを変更し、貸出債権をまるごと他社に販売してさらに多額の収益をあげるようになった。そして今度は、その買い手が自分の持分を証券化することができたのである。2年間で資金は急速に流入し、2003年12月期末には、ニュー・センチュリーは合計4億2400万ドル以上の純利益を報告し、約9600万ドルの自社株を買い戻した。さらに、投資目的で47億5000万ドルのサブプライムローンを保有し、それを担保に46億9000万ドルを借り入れた。過去の証券化による資本調達がなければ、ニュー・センチュリーはこれほど多額の借金をすることはできなかったであろう。

 住宅価格がピークを迎えた2006年秋頃には、ニュー・センチュリーは資金調達の大部分を借入に頼る状態となり、投資目的で140億ドルのサブプライムローンを保有し、約139億ドルの借入金によりその投資をまかなっていた。(同社の2000年12月期および2002年12月期の年次報告書ならびに“Final Report of Michael J. Missal, Bankruptcy Court Examiner Re: New Century TRS Holdings, Inc.”を参照)

 6カ月後の2007年3月、ニュー・センチュリーは資金の出し手(同社が売却用のモーゲージ・ローンを集約するための短期融資を供与していた銀行)による証拠金1億5000万ドルの追加差入れ要求に満たせなかった、と発表した。さらに、その後一週間以内に、カリフォルニア州とSECが米国第2位のサブプライムローン業者であった同社に対して調査開始を通告してきた。2007年4月までに、ニュー・センチュリーの弁護団は連邦破産法11条の適用を申請した。


クウォンツ・アナリストの台頭 (QUANTITATIVE ANALYSTS MAKE THE LEAP)


 ニュー・センチュリーを破綻に追い込んだものは何か。寛容な会計基準に加えて、ウォール街に蔓延していた次のような驕りもその一因である。各金融機関は、自社のアナリストたちはわずかな裁定取引を目敏く見抜き、ほとんどのリスクを正確に計測評価でき、確実なリスクヘッジで身を守れるとうぬぼれているのである。メガバンクや投資銀行、ヘッジファンドは、常に他社より少しでも優位に立とうと、物理学者や数学者に何百万ドルもの報酬を支払って、金融の聖杯ともいうべき手法をさがし求めた。ほんのわずかな利益でも、レバレッジを効かせれば巨万の富へと姿を変え得るからである。

 さらに、財務部門のトップは財務諸表を軽視してきた。その背景には、経営者による業績ゲームの長くあきれた歴史があり、経営者に加担しないまでも改ざんを繰り返し見過ごしてきた無能な監査にも原因がある。そして最後に、財務諸表は過去の一時点を表したものであり、過去よりも未来に目を向ける賢い投資家にとっては、二次的な情報にすぎないのである。安価なコンピュータ上で表計算ソフトや統計ソフトを駆使できるようになり、財務上の意思決定において、複雑さを増す将来の予測を試みる複雑なモデルへの依存度が益々高まるという新しいパラダイムが生まれているのである。

 こうした現象は矛盾をはらむ。証券化商品の売り手や引受人、格付機関、投資家にサブプライムローンの固有リスクを過小評価させてしまったモデルは、基本的に過去を検証して、未来を予測するものであった。典型的なモデルは、過去10年程度のモーゲージプールの履歴に基づいて今後のシナリオが導き出すが、1980年代の貯蓄貸付組合の崩壊の影響は考慮されておらず、ましてや世界大恐慌のことなど明らかに無視されていた。(Wired Magazine2月23日号のFelix Salmonによる記事”Recipe for Disaster: The Formula That Killed Wall Street”を参照)

 2005年、前例のない無謀さをもって信用力の低い顧客に売却された新手の金融商品のパフォーマンスを予測するということは、関連データがほとんどないという統計的空白の中で、証券化構造や信用格付を確定するために定量的見積りをするようなものである。

 同時に、証券化を多用する企業の財務諸表(過去のある時点における企業の財務状況を表したもの)は、現実に起きた事象に基づいたものというよりは、目に見える事実が欠落したデータベースから得られた巧妙な推量の産物であった。劣悪で時にひねくれた金融モデルは、壊滅的な悪影響をもたらした。

 壊滅的打撃を受けた会社にカントリーワイドがある。同社は、2005年には米国最大手の住宅ローン会社として君臨し、カリフォルニア州を中心にサブプライムローンや第二抵当ホーム・エクイティ・ローン商品を扱っていた。同年、カントリーワイドは約5000億ドルの住宅ローンと約900億ドルのハイリスクなノンプライムローン商品を組成し、3650億ドルの住宅ローンを証券化していた。結果として、カントリーワイドは25億ドル以上の純利益を稼ぎ出し、同社の株式は、1株利益の実績値4.11ドルの9倍もの値を付けていた。

 莫大な利益によってアンジェロ・モジロは莫大な報酬を手にした。彼は長らくカントリーワイドの最高経営責任者(CEO)を務め、2005年には約5700万ドルの報酬を手にしていた。フォーブズ誌の米国企業経営幹部ランキングで9位にランクされたほどである。(カントリーワイド・フィナンシャル・コーポレーションの2005年12月期年次報告書およびForbes.comの経営幹部報酬情報を参照)

 2005年は良い年に思えたが、不吉な予兆も見られた。まず、カントリーワイドが証券化による売却益で40億ドルを認識していた点である。会計手法の濫用による収益の前倒し計上が容認されていなければ、この利益は一部しか認識されておらず、カントリーワイドの場合、税引前利益はわずか約1億4700万ドル、株主資本利益率は約1%という貧弱な状態にとどまっていたであろう。(証券化が行われていたら、過去の取引から生じた利子や管理収入が計上されていたことは明らかであろう。しかし、当時の規則では、それらの収益がもたらす影響の合理的な見積りを認めるための詳細情報の開示要件が十分に定められていなかった。)

 そして、カントリーワイドの利益は証券化による売却益で膨れ上がっていたため、成果主義に基づいてモジロが得た巨額の報酬は、会社が実際に獲得した収益ではなく、最終的な成果がどうなるかという推量に基づいていた。

 売却益に加えて、会社は証券化による約58億ドルのモーゲージ管理権(Mortgage Servicing Rights, MSRs)も認識していた。(モーゲージ管理権は、GAAPの「調合」による概念であり、証券化で移転されたモーゲージ・ローンの管理権を保持することで期待できる、将来の手数料収益を現在価値で計上することを認めている。)

 モーゲージ管理権は、収益は獲得して初めて認識すべきとする基本的な会計公理から明らかに逸脱している。モーゲージ管理権は売却益等式に織り込まれ、その結果、売却益会計により与えられる収益の一部となっている。

 偉大な経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、かつて「市場は、投資家が支払い不能になるまで不合理な動きをし続けることがある」と鋭く指摘したが、カントリーワイドはその逆もまた真なりということを証明した。2005年後半にMoody’s Economy.comで発表された住宅に関するレポートの中で、住宅価格はピークを迎えつつあることが明確に示された。(2005年10月のMoody’s Economy.comにおける記事“The Single-Family Housing Market Monitor”を参照)

 2006年1月、スタンダード&プアーズ(S&P)/ケース・シラー指数は、住宅市場の非合理性に関して注目すべき論拠を提起している。ケース・シラー指数によれば、2005年にフェニックスでは住宅価格が約42%上昇し、マイアミやタンパでは30%以上上昇した。2005年12月末までの2年間で、ラスベガスの住宅価格は61%上昇し、サンディエゴでは約35%の上昇であった。同期間で、米国20都市の指数が34%以上上昇した。(2004年12月および2005年12月の各都市のS&P/ケース・シラー指数を参照)時期を同じくして、フレディ・マックのホームページ(www.federalreserve.gov)に掲載された“Primary Mortgage Market Survey”のデータによれば、従来の住宅ローン金利は2005年初頭の5.71%から同年末には6.27%に上昇し、住宅購入が一層難しくなっていることが浮き彫りになった。


優柔不断な格付機関 (RATINGS AGENCIES ROLL OVER)


 2006年、カントリーワイドは870億ドルのサブプライムローンや第二抵当ローン、ホーム・エクイティ・ローンを含む4682億ドルの新規ローンを組成した。これは、2005年と比較して合計約6%の減少である。カントリーワイドはこれら新規ローンのうち約3620億ドルを証券化し、47億ドルの売却益を認識していた。この利益がなければ、カントリーワイドは約3億5000万ドルの税引前損失を計上していたことになる。モジロはうまくことを運んでいた。その年のモジロの報酬総額は4810万ドルを上回ったが、これは証券化による売却益を含む約27億ドルの純利益計上に連動したものと思われる。(カントリーワイド・フィナンシャル・コーポレーションの2007年12月期年次報告書を参照)

 しかし、住宅建設ブームの終焉を裏付ける証拠は増え続けていた。ケース・シラー指数は住宅市場の大幅な低迷を示していた。2005年12月から2006年12月にかけて、フェニックスの住宅価格の上昇率は1%にも満たず、タンパでは2%の上昇であった。カントリーワイドの資産ポートフォリオの約45%を占める主要市場カリフォルニア州においては、ロサンゼルスの住宅価格は約2%伸びたが、サンフランシスコでは1%下がり、サンディエゴでは6%を超える下げ幅であった。S&P/ケース・シラー指数全体では、(2005年12月から2006年12月にかけて)主要20都市圏の上昇率は1%に満たなかった。

 2006年末までにほとんどの住宅市場が枯渇した時点で、投資家や格付機関は証券化に絡むカントリーワイドの莫大な売却益が大きな危険にさらされていることを察知すべきだった。住宅価格の下落が続くことで、カントリーワイドが抱える第二抵当ローンやホーム・エクイティ・ローン、サブプライムローンのリスクが増大した。この種のローンは、カントリーワイドの証券化および投資ポートフォリオの重要な部分を占めていた。ホーム・エクイティ・ローンやピギーバックサブプライムローン(頭金も融資するローン)は多くの場合、購入する住宅価格ぎりぎりまで融資するため、一戸建て住宅市場の相対的な強さは、カントリーワイドの財務健全性の明確かつ重要な指標であり、住宅価格下落は同社にとって大きなリスクであった。

 さらなる裏付けもあった。ハーバード大学住宅共同研究センター(Joint Center for Housing Studies of Harvard:、JCHS)は“The State of the Nation’s Housing”と題する2006年の調査で、2006年中に住宅価格が是正され始めたと結論づけた。2007年に顕著化する住宅バブル崩壊は予見できなかったが、その調査では2006年に住宅販売が10%減少し、住宅着工件数は13%落ち込み、住宅在庫が50万戸増加したと指摘されていた。アナリストたちは余剰在庫数を軽視し、将来の市場回復をにらんで市場から回収された戸数があると考えていた。

 また、JCHSの研究は、2006年の住宅ローンのうち1兆4300億ドル分がサブプライム、オルタナティブA(Alt-A, 訳注:信用力がサブプライムとプライムの中間であるローン)またはホーム・エクイティ・ローンであったことを示した。これは2006年に実行されたプライムローンとほぼ同等の規模であり、ハイリスクなローンが住宅ローン市場で過去最高のシェアを占めた年でもあった。

 カントリーワイドが会計基準の甘さを巧みに利用するなかで、市況が悪化し同社の収益が低迷したことは、カントリーワイドが危機に瀕しているという警鐘を投資家に鳴らすべきであった。しかし、同社の株価は2006年11月13日に40ドルの壁を突破し、2007年1月30日にカントリーワイドが、売却益に支えられて2006年の株価収益率が(2005年の4ドル11セント)に対して4ドル30セントとわずかに改善したと発表した時、投資家たちはほとんど懸念をもたなかったようである。その後、2月2日には普通株が一時45ドルの大台を越えて急騰した。実績EPSは10倍以上と健全な数値を示した。

 アナリストたちはより賢明であるべきであったが、実は過去に問題を把握していたのだ。早くも1987年には、ムーディーズ・インベスターズ・サービスが「会計や規制の分野において形成された実務は、クレジットアナリストたちにとって有益な出発点となるものだが、これらの指針は、証券化資産の売却が組成者の信用力格付けに及ぼす真の経済的リスクを十分にとらえていない」との認識を示した。(2008年9月18日に開かれた上院の銀行住宅都市問題委員会・証券保険投資小委員会におけるジョセフ・R・メイソン氏の証言を参照。メイソン氏はルイジアナ州立大学でファイナンスの教授を務めており、ペンシルベニア大学ウォートンスクールのシニア・フェローでもある。)ムーディーズは、1997年の報告書においてさらに明確な懸念を示しており、アナリストたちがオフバランス会計および売却益会計にどう修正を加えたかを記載している。

 同様に、S&Pは2005年のレポートにおいて次のように報告している。「証券化により真のリスク移転が起こるという点において、それは資産売却に類似する取引と解釈される。しかし、より一般的な事例では、証券発行者がその資産に係るリスクの大部分を保持しており、その取引は担保付ファイナンスと同等のものである。」同レポートにおいてS&Pは、「破滅的な損失」のリスクのみが証券化商品の購入者に頻繁に移転され、劣後トランシェ(first loss tranches)が第三者に売却されたとしても、証券化を主たる資金調達源としている企業は、投資家との契約がどうであれ、「信義則による償還(moral recourse)」に頼っていてはひどい目に遭うことになる、との認識を示した。

 要するに、投資家が証券化商品で多額の損失を被った場合、売り手は損失補填することを期待され、売り手自身も通常そう認識していたのである。なぜなら、損失を抱えて怒りに震えた市場参加者たちは、自分たちの将来収益を度外視して間違いなく報復してくるからである。

 ムーディーズとS&Pの両方が、カントリーワイドの無担保債務の格付けを行っていた。2005年12月期のカントリーワイド・フィナンシャル・コーポレーションの年次報告書において、流動性や資本構成と共に、同社の「モーゲージ管理権(MSRs)等の保有権益」への多額の投資やノンプライム融資への関与への懸念が示されていたにもかかわらず、2001年以降、同社の長期債格付けランクはS&Pが「A」、ムーディーズが「A3」と、中位の投資適格水準に位置づけられていた。

 カントリーワイドの会計に対する疑念、資本構成面の不安、そしてカリフォルニアをはじめとする米国各地の住宅市場の持続的な下落にもかかわらず、カントリーワイドが発行するコマーシャルペーパーの市場が崩壊し、同社が銀行団からの融資枠115億ドルを使い切ってしまった2007年8月15日に至るまで、ムーディーズとS&Pは当初の格付けを維持した。

 2007年半ばに、住宅金融業界には緊張が走り、その兆候は明確ではないもののいたるところに見られた。カントリーワイドの財務状況の悪化は目に見えて明らかとなり、住宅用不動産の見通しの暗さが知れ渡り、ノンプライム証券化商品の価格が大幅に下落しつつあった。

 2007年6月、かつて米国第4位の投資銀行であったベアー・スターンズが運営する2つのヘッジファンドが、保有していた債務担保証券(collateralized debt obligation:、CDO)の大幅な価値下落に伴う証拠金追加負担に耐えられず破綻した。CDOの大部分はサブプライムローンなどのリスク過大なローンで構成され、60倍のレバレッジをきかせていた。債務依存体質がいかに投資損失を拡大させるかを示すさらなる事例となった。(2007年10月11日付BusinessWeek.comにおけるマシュー・ゴールドシュタインおよびデイビッド・ヘンリーの記事“Bear Stearn’s Bad Bet”を参照)

 当初の発表から1カ月以内に、ベアー・スターンズはファンドを解消し、より「保守的に」運用していたファンドはほぼ壊滅的な状態にあり、積極的な運用を行っていたファンドは完全に無価値となってしまったことを投資家に伝えた。

 これと時期を同じくして、住宅ローン滞納率が上昇し続け、住宅価格をさらに急落させていった。住宅ローン滞納率が特に高い10都市のうち6つの都市は、カントリーワイドの二大市場であるカリフォルニア州とフロリダ州にあった。2007年7月までに、ロサンゼルスの住宅価格は2006年12月の水準に比べて3.4%下落。サンディエゴでは3.7%、サンフランシスコでは1.6%それぞれ下落した。(2007年7月19日付WSJ.comの記事“Mortgage Delinquencies”を参照)フロリダ州の状況はさらに深刻で、同期間中にマイアミの住宅価格は7.3%、タンパは5.96%下落した。(各都市の2006年12月および2007年7月のS&P/ケース・シラー指数を参照)

 住宅価格がわずかに下落しただけでも、サブプライムローンを組み入れた証券化商品の多くは、壊滅的に値を下げることになる。ファースト・パシフィック・アドバイザーズのファンドマネージャーを務めるロバート・L・ロドリゲスは、米国第3位の格付機関フィッチ・レーティングスの担当者と電話会議を行った時のことについて次のように述べている。フィッチ・レーティングスのアナリストの認識では、同社のサブプライムローン・モデルは住宅価格が長期間横ばいであっても機能しなくなり、価格がほんの2%下落すれば、新規発行のサブプライム証券化商品の投資格付最高ランク、つまりAAやAAAのトランシェにも悪影響が及ぶとのことであった。カントリーワイドがノンプライムローン市場の主要企業として存在感を示していたカリフォルニア州において、全サブプライムローンの約26%、オルタナティブAローンの41%が組成されたと見積られていたことに鑑みれば、危険性は明らかだったはずである。(fpafunds.comに掲載された、2007年6月28日にロドリゲス氏がシカゴ公認証券アナリスト協会で行った講演“Absence of Fear”を参照)

 2007年7月24日に発表されたカントリーワイドの第2四半期業績には、このような事態進展の一端が示されていた。カントリーワイドは過去6カ月間で9億1900万ドルの収益を計上していたが、2006年の同期間に比べると約35%の減益であった。27億ドル以上の売却益(悪影響が懸念されていた2007年上期に計上した将来の収益)を除けば、カントリーワイドは約14億ドルの税引前損失を被っていただろう。

 営業キャッシュフローのマイナスは約68億ドルで、これはカントリーワイドが新規証券化資産を売却できなかったことによるところが大きい。2006年12月31日から2007年6月30日の間、カントリーワイドは120億ドルの不動産担保証券を売買目的で新たに保有していたが、問題のノンプライム資産の証券化の割合については開示しなかった。累積したモーゲージ在庫は、カントリーワイドの証券化商品が、厳しさを増す市場において支持されなくなっている、つまり価値も失いつつあることを示していた。カントリーワイドのサブプライムローン滞納率は20%以上に上り、前年比で13.7%も上昇した。ホーム・エクイティ・ローンにいたっては5.4%と、倍以上の延滞率に跳ね上がった。

 合計で、カントリーワイドは約4億4500万ドルのローン損失を計上し、証券化による保有権益の評価損6億9700万ドルをさらに追加したと発表した。この金額は前年同期比の10倍にもなる。カントリーワイドのレポートが公表されたことで、S&P500社株平均が2%下落することとなった。これは過去5カ月で最大の下げ幅であり、その日の取引で、カントリーワイドの株価は11%下落した。(2007年7月24日付New York Timesに掲載されたVikas Bajajの記事“Home Lenders’ Woes Fuel Market’s Decline”および2007年6月30日付カントリーワイド・フィナンシャル・コーポレーションのForm 10-Q(四半期報告書)を参照)

 業績不振やさらなる悪化を示すデータがあるにもかかわらず、格付機関は修正に動こうとはしなかった。カントリーワイドが発表した決算内容の検討が始まってから1週間後の8月2日、ムーディーズはカントリーワイドの投資格付けランクをA3、安定的(stable)であるとしていた。S&Pとフィッチ・レーティングスは沈黙を守っていたが、カントリーワイドのコマーシャルペーパーに投資した人々は黙っていなかった。

 8月15日、カントリーワイドは、新規の買い手がみつからない短期の有担保、無担保のコマーシャルペーパーにあてる120億ドルを捻出するため、銀行の無担保与信枠から約115億ドルを引き出さざるをえなかった。

 お決まりのパターンで、金融市場が反応してからようやく格付機関が格下げに動いた。8月16日、ムーディーズはカントリーワイドの格付けをA3からBaa3(投資適格水準の最低ランク)へと格下げした。S&PはAからA−(あきれるほど場当たり的な対応)、フィッチはAからBBB+へと、大手同業者2社の間を取って2段階の格下げとした。格付機関の立場は矛盾に満ちたものであった。彼らは2001年以降に住宅ローン残高が急増する中で販売されたカントリーワイドの証券化商品を多数格付けしており、同社の証券化商品は大きな収益源であったためだ。

 2007年12月期を通じて、カントリーワイドは証券化による20億ドルの売却益を報告したが、約7億400万ドルの純損失も計上した。これは主に貸倒引当金24億ドルおよび過去の証券化による残余持分の評価損23億8000万ドルによるものである。

 赤字決算にさらなる損失が重なると予想されたが、カントリーワイドは2007年に8億6300万ドル以上の自社株買戻しを実施した。2年間で約24億ドルの自社株買戻しを実施したことになる。(カントリー・フィナンシャル・コーポレーションの2007年12月期年次報告書を参照)

 その一方で、新聞報道によると、モジロは自分が保有する同社株を総額4億ドル以上も計画的に処分していたのだ。(2007年8月26日付The New York Timesに掲載されたGretchen Morgensonの記事“Inside the Countrywide Lending Spree”を参照)2008年1月11日、カントリーワイドはバンク・オブ・アメリカ(Bank of America)との合併を発表した。

 独立企業として最後の期となった2008年第2四半期末、カントリーワイドは貸倒引当金38億ドル、モーゲージ管理権の評価損7億500万ドル、売買目的証券の評価損4億9700万ドルを計上し、その結果32億ドルの純損失を積み重ねることになった。その翌日、バンク・オブ・アメリカは買収を完了し、カントリーワイドの貸倒償却に100億ドル、モーゲージ管理権に15億ドルの追加出資を実施した。半年以内に、バンク・オブ・アメリカはモーゲージ管理権の追加償却71億ドルを実施したが、同社の会計処理上は、カントリーワイドは買収当日に破綻扱いとされていた。(バンク・オブ・アメリカ・コーポレーションの2008年12月期年次報告書を参照)


歴史は繰り返す (THERE YOU GO AGAIN)


 金融スキャンダルが発覚すると、マスコミは必ずどのような教訓が得られたかと事後分析を行うが、実際には教訓が学ばれたためしがない。そして、1974年以降、何度も変更・修正が重ねられてきた証券化に関する会計基準にも同じことがいえる。

 1974年に米国公認会計士協会(AICPA)による意見書(Statement of Position、SOP)74−6が発表されるまでは、遡及権付受取債権の譲渡に関する会計は統一されていなかった。遡及権の有無にかかわらず、資産売却の損益を認識する企業もあれば、資金回収が確実になるまで認識を見送る企業もあった。

 SOP74−6の発効により損益認識の繰延べが求められたことで、議論は(一時的に)終息した。しかし、この基準は収益認識のみに言及しており、貸借対照表上の取扱いには触れていなかったため、1980年にこの問題が見直され、AICPA討議報告書でオフバランスの取扱いに関する指針が示されることとなった。その指針は相当程度明確であったが、FASBは、その後も企業間で会計手法にバラツキがあり、特に貯蓄金融機関においてその傾向が顕著であると結論付けた。同業界では、モーゲージ・パス・スルー証券(モーゲージ担保証券の先駆け)は資産売却として処理されていたというのだ。(FASB基準書第77号およびSOP74−6を参照。この2つの文書は現在FASB基準書第166号と第167号に取って代わられている。)

 それに呼応して、FASBは基準書第77号の公開草案を1981年に発表し、概ね、問題に決着をつけることができた。草案で提示された基準では、遡及権付の受取債権を譲渡した直後の損益認識が禁止され、取引の経済的実質が有担保貸付と認識された場合には、資産(つまり受取債権)ならびに当該受取債権により担保されている負債はバランスシート上で認識するよう求めている。そして、大混乱が生じた。

 FASBは120件の意見書を受け取った。そこには以前、自らの金銭的利害に影響を及ぼす他の会計基準にうまく揺さぶりをかけた金融機関の意見書も含まれていた。特に、FASBへのロビー活動により不良債権のリストラクチャリングに係る損失計上手続を緩和させることに成功した複数の金融機関が活発に意見を述べた。(Professional Officers’ and Directors’ Liability Law Committee’s Newsletterの1995年冬号に筆者が寄稿した“The Not So Strange Cases of Equity Participation and Troubled Loan Accounting”を参照)

 圧力をかけられたFASBは、次の3つの主要な論点について意見書に従うこととした。まず、FASBは会計に取引の経済的実質を反映させることを求める条項を取り下げた。当時の会計において、この条項は、売却が「ペーパー」カンパニー(売却を認識する目的で譲渡人が設立した、物理的な施設または従業員をほとんど有しない事業体)に対するものである場合には、資産売却益を直ちに計上することができないということを意味した。言い換えれば、今日の典型的な証券化信託のような事業体がそれに該当する。2つ目として、貯蓄金融機関からの批判を受け、FASBは売却益会計からモーゲージ・パーティシペーション証券を除外するよう求める条項を取り下げた。そして最後に、譲渡者の100%出資金融子会社への譲渡取引を連結の対象とするかどうかについての見解を示すことを拒否し、金融サービス業界にオフバランス処理への抜け道を与えた。それ以降、金融サービス企業はオフバランス処理をし続けている。(FASB基準書第77号を参照)

 アーサー・レビット委員長の下でSECの主任会計官(chief accountant)を務め、会計専門職を声高に批評することで知られるリン・ターナーによれば、このようなFASBの屈服は「非常に誤った決断であり、・・・投資家を無視した詐欺的な行為ともいえ、その悪影響は計り知れない。」(Multinational Monitor2008年11/12月号に掲載の記事“Plunge: How Banks Aim to Obscure Their Losses, An Interview with Lynn Turner”を参照)

 売却益の会計処理に関する問題は、1996年にも再検討された。FASBは、イギリスにおいて担保に差し入れた資産を貸借対照表上に残し、債務を当該担保資産から減じて報告するという会計手法が導入されていること、同じく重要な取扱いとして、資産売却損益の計上が一切認められていないことに着目し、同様の規制を米国にも導入することを検討したが、最終的に却下した。(www.vinodkothari.com/martiart.htm に掲載された、Martin Rozenblattによる記事“Weaning Off Gain on Sale Accounting”を参照)

 1996年に発効したFASB基準書第125号では、新規に設立された証券化のための組織体に対するオフバランスの会計処理と売却益会計を認めたFASB基準書第77号の基本原則の適用範囲が拡大し、学術文献上での矛盾した取扱いを生じさせるあいまいさを解消した。

 FASB基準書第125号の発効は、最終決定とはならなかった。2000年にFASBは基準書125号に替わる新たな基準書第140号を定めた。新基準では、主として既存の規則を強化するとともに、いくつかの制限も設けようとした。それでもなお、抵抗は続いた。

 連邦および州の規制当局は、独自の会計規則を策定するか、GAAPを最高位の基準として受け入れるかを選択する権限を有する。2001年、連邦預金保険公社(FDIC)はFASB基準書第140号の一部を却下し、銀行に対して貸借対照表上の残余持分の「額面」に相当するリスクベース自己資本を維持するよう求めた。規制当局は残余持分を、売却として処理された証券化において譲渡された資産に係る信用リスクに銀行をさらすような証券化から生じた保有受益権と定義した。この規則の影響は、規制目的のために、銀行の財務諸表に計上されていた売却益処理のほとんどを無効にするというものであった。銀行の取締当局の意見とFASB基準書の内容にある食い違いは、懸念材料となるべきであった。

 オフバランス会計処理の濫用が破綻要因の1つであるとされる2001年のエンロン事件は、2003年後半に登場した特別目的事業体との連結会計に関する規則の改定にはずみをつけた。(Financial Executives International Executive Reportの2002年3月20日号における筆者の寄稿“Enron: An Accounting Analysis of How SPEs Were Used to Conceal Debt and Understate Losses”を参照)

 これらの変更により、金融資産証券化のオフバランス処理に終止符が打たれたが、証券化取引は特に適用除外となり、オフバランス処理と売却益会計が活況を呈した。(FASB解釈指針(FIN) No.46Rを参照)

 2003と2005年に、FASB基準書第140号を修正するためのさらなる試みがなされた。FASBは公開草案を発表し、いくつかの会計上の制限が示されたが、現行基準と比べて大きな変化は見られなかった。当時、銀行はプライム融資に匹敵する件数のノンプライム融資も行おうとしており、そのときにしっかりとした対策が講じられていれば時宜を得たものになっていたと思われる。

 2006年、FASBは国際会計基準審議会(IASB)と会計基準の国際的標準化に関する話し合いの場を持ち、FASB基準書第140号がもともと修正不能なほどの欠陥をはらんだ基準であり、度重なる変更にもかかわらず、現在も問題が解決されていないことを認める発言をした。(2008年4月21日に行われたIASBとFASBの共同会議に関する“Information for Observers”を参照)

 2005年から2008年半ばまでFASBの理事を務めたドナルド・M・ヤングは、2008年9月18日に銀行住宅都市問題委員会・証券保険投資小委員会で開かれた聴聞会において、次のように証言した。「FASBが証券化の財務報告には深刻な問題があると認識していたのは疑いがない。」

 「問題はこの危機が明るみに出るまで、どうして問題が放置されたのかということです」ヤングはそう証言している。「私がスタッフに対応の遅れについて理由をたずねると、私たちが検討していた基準設定を実施すると、実体経済をより正確に反映させる一方で、企業による何十億ドルもの証券化を不可能にしてしまう懸念があるとのことでした。企業会計の透明性を求めるのは、マイナスになるということなのでしょう。・・・少なくとも短期的には。」

 「FASBは、産業界からの強い圧力にさらされていたのです」と、米国連邦準備理事会(FRB)の元副議長で現在はプリンストン大学教授のアラン・ブラインダーは述べた。「産業界も規制当局も、懐疑的な視点でオフバランス事業体の実体を詳しく調べ、良からぬ事態が生じた場合の問題の程度を見極めることができていなかったと言えるでしょう」とブラインダーは語った。(2008年10月30日付Bloomberg.comに掲載された、Allan Katz, Ian Katzの記事“Greenspan Slept as Off-Books Debt Escaped Scrutiny”を参照)

 ヤングは、議会証言の前に、ロードアイランド州選出の民主党上院議員ジャック・リード宛てに書簡を提出し、その中で次のように綴っている。「ロビー活動では、もしFASBが大幅な変更を行えば、金融市場の円滑な機能が阻害され、産業界が損失を被る旨が効果的にアピールされていました。我々は、それに打ち勝つ能力を欠いていたのです。FASBが何も対策を講じなかったことで、金融市場の機能が阻害されることはありませでしたが、金融市場の崩壊を手助けしてしまったのです。」

 リーマン・ブラザーズが連邦破産法11条の適用を申請した2008年9月15日に、FASBは基準書第140号の2005年公開草案にさらなる改訂を加えて公表した。提案された基準は2009年11月15日以降に発効し、特別目的事業体を認めるという概念をなくし、エンロン事件を受けて発効した証券化に関するより厳格な基準を満たすことを求めている。この変更により、証券化信託を譲渡者の財務諸表の連結対象とすることを強制し、30年以上の長きにわたり財務報告を歪め続けてきた売却益会計ならびに実質的なリミテッド・リコース・ローンのオフバランス処理を事実上禁止することが期待できる。

 ロイターとのインタビューにおいて、FASB議長のロバート・ハーツは熟慮しながら、銀行は『初めから』会計規則を曲解したり拡大解釈したりして、サブプライムローンのような証券化リスク資産をオフバランス化し続けた、と語った。「(FASB基準書第140号)は・・・うまく機能しませんでした。内容が拡大解釈され、遵守されなかったのです」と、ハーツ氏は2008年2月7日付のReuters.comに掲載された、Emily Chasanの記事“Subprime Accounting Stretched from Day One: Herz”の中で述べている。「当初の規則は妥当なものでした。市場慣行がそれを遵守しなかったのです。…(証券化信託)契約には必要な条項が盛り込まれていましたが、監査人がしっかり確認していないようなケースがあり、企業側が規則違反に気づかないこともあったのです」とハーツ氏は強く主張した。

どうも、基準設定者以外の全員に非があったようである。



ゴードン・エール(Gordon Yale) CFE、CPA、CFF はフォレンジック会計事務所Yale & Companyの代表である。証券アナリスト、SECの特別調査コンサルタントの経歴をもち、民事関連事項における監査上の過失や証券詐欺の問題に関して証言した経験もある。


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