FRAUD MAGAZINE

勇敢な通報者たち
SENTINELS We Have Known
※ 訳注:ACFEでは、通報者をsentinels(監視役)と呼んでいる。

ディック・カローザ:著
By Dick Carozza



 不正検査士は困難な仕事に立ち向かわなければならない。しかし、正義を貫くためにリスクを犯して内部通報をしてくれる者たちがいなければ、その仕事はさらに厳しいものとなる。ここでは、Fraud Magazineにおいてその栄誉を称えられてきた通報者たちを再び取り上げる。


 典型的なシナリオはこうである。職務を忠実に遂行する監査担当者(ブレンダと呼ぶ)が、自分の上司が会計不正を強要されているのではないかとの疑いをもった。ブレンダは難しい選択を迫られる。その上司の上役に通報した場合、その者が首謀者である可能性がある。食物連鎖のようにさらに上位者、例えば経理担当役員に通報するのは、自分の首を断頭台にさらすようなものかもしれない。

 SOX法の知識をもった彼女は、監査委員会委員長に連絡を取ることに決めた。委員長は事実関係を確認することを約束し、実際に調査を行った。程なく、ブレンダの上司は彼女を狭い個室に追いやり、大した仕事を与えず、ほとんど昇給させなかった。そして、1年以内に会社は業績評価が悪いことを理由に彼女を解雇した。

 ACFEの創設者兼チェアマンであるジョセフ・T.ウェルズ(CFE、CPA)によると、通報者は、おしゃべり、おせっかい、ちくり屋、厄介者などのレッテルを貼られる。「そして、CFEである我々は、不正行為について知っている従業員が、なぜそのことを我々に話してくれないのかと不思議に思うのである」と彼は言う。

 ACFEは長らく、Fraud Magazineでのインタビューやクリフ・ロバートソン・センティネル賞の授与を通じて勇気ある通報者を称えてきた。以下に紹介するのは、歯を食いしばり、自らのキャリアやメンタルヘルスを危険にさらしながら粘り強く行動し、変化をもたらした勇者たちの記録である。



欧州委員会の良心 (CONSCIENCE OF THE EC)


 2002年、当時、欧州委員会(European Commission, EC)の会計部門の責任者をしていたマルタ・アンドリーセンは、1,200億ドルに上るECの予算が「不正の被害に非常に遭いやすい状況にある」と報告した。その率直な進言に対する報いとして、彼女は停職処分を受け、彼女のキャリアは不安定な状況に追いやられた。

 「私は会計の責任者として、欧州連合の資金すべてを管理する責任を負っていました。そして、私は納税者を守るために、職業人として誠実に行動したのです」アンドリーセンはFraud Magazineの2004年9月・10月号におけるインタビューでそう語った。彼女は2004年にセンティネル賞を受賞した。

 アンドリーセンは、会計用のコンピュータ・システムに「深刻かつ明白な」欠陥を見つけた。そのシステムは複式簿記になっておらず、ECのスタッフなら誰でも、アクセスの証跡を残すことなく入力内容を変更できた。

 彼女は、2001年の決算を承認するよう要請されたが、財務の実態が決算数字に正確に反映されていないという証拠を得たために承認しなかった。ECの上層部は要請に従わなければ解雇すると彼女を脅した。そこで彼女は、会計システムの問題について、上司とECの会長および副会長に報告した。

 報告を受けた上司たちは、ECのコミッショナーが言うところの「関係の決裂」を理由に、彼女を別の職務に異動させる考えであるとアンドリーセンに伝えた。最終的に彼女は会計の最高責任者の役職を解かれた。

 当時は職務の分離という基本的な管理の原則が全く理解されていなかったとアンドリーセンは語った。「業務担当者と会計・財務担当者の職務が分離されていませんでした。」

 通報したことによって、彼女は公私共に代償を払った。しかし「自らの誠実さを守り抜くために最後まで戦い抜こうと努力しました。」

 2005年6月に、アンドリーセンは新設されたEuropean Civil Serviceの法廷にこの件を訴えた。しかし、裁判所は2007年11月まで待たせた末に、彼女の訴えを退けた。

 最近になって、彼女はFraud Magazineに対し、決してあきらめなかったと語った。2008年1月には欧州第一審裁判所に提訴し、現在も審理中である。

 アンドリーセンにとって、次の仕事を見つけるのは容易ではなかったが、最終的に英国独立党(UKIP)が彼女を財務責任者として採用した。彼女は、2009年6月の欧州議会選挙にUKIPの候補者として出馬する。

 「欧州連合は財務的な高潔性の模範となるという期待」を抱くのはあきらめたとアンドリーセンは語った。



バイオックス副作用による死の未然防止 (PREVENTING VIOXX DEATHS)


 ワシントンD.C.にあるベトナム退役軍人記念公園の長く、傾斜した壁には、ベトナム戦争で犠牲になった58,000人の男女の名前が刻まれている。しかしFraud Magazineの2005年9月・10月号において食品医薬品局(Food and Drug Administration, FDA)の科学者であるデイビッド・J.グラハム博士が語ったように、彼は、関節炎治療薬バイオックスの副作用で死亡した米国民の数は、それを2,000人も上回ると考えている。

 「1999年から2004年の間に、米国内で2千万人、全世界では8千万人がバイオックスを服用したと推定されます」とグラハム博士は言う。「我々は(バイオックスを服用した)患者の最大14万人が心臓発作を起こし・・・そのうち6万人が死亡したと見積もっています。」グラハム博士は、FDA医薬品安全室のアソシエイト・ディレクターで、FDAに20年以上勤務している。

 2004年11月、グラハムは上院金融委員会において、FDAが彼や同僚たちに、バイオックスやその他の医薬品のリスクについて報告しないよう口止めしたと証言した。「FDAは米国民を見殺しにし、国民の信頼を裏切ったのです」とグラハムは証言した。彼は、FDAは医薬品業界の影響を過度に受けていたため、「国民を第2のバイオックスの被害から守ることができない。我々は、実質的に無防備である」と語った。バイオックスを製造販売したメルク社は最終的に同商品の販売を中止した。

 「もし私が真実を語らなかったら、私もこの問題に加担し、これらすべての死亡事故の責任を負うことになっていたでしょう。・・・真実を語るという決断をするのは難しくありませんでした。私の良心に従って行動しただけです」とグラハムは語った。

 証言したことによる個人的な損失は大きかった。「組織内部で受けた批判、脅迫、村八分の扱い、さらにはFDAのマネージャーたちによる誹謗中傷キャンペーンは、私たち家族をひどく苦しめました。医薬品業界の代表やロビイストたちも、議会において同様のキャンペーンに加担したようです。」

 しかし、彼の粘り強い取組みは大いに報われた。「人の命に比べれば、職場で辛い目に遭うことなど小さなものです」とグラハムは言う。「子供の目を堂々と見つめて、お父さんは誠実に行動したんだと彼らに伝えられることは、かけがえのないことです。それに、夜ぐっすりと眠ることができます。」

 グラハム氏は、2005年のセンティネル賞を受賞した。



連邦政府契約の濫用との戦い (BATTLING FEDERAL CONTRACT ABUSE)


 バニー・グリーンハウス氏は、かつて米国陸軍工兵隊の契約・調達を担当する民間人のトップを務めていた。部隊の調達業務の統括者として、彼女は連邦法遵守の責任を担っていた。そして、現在も続くイラク戦争の準備段階において、グリーンハウスは、部隊がハリバートン社の子会社であるケロッグ・ブラウン・ルート社(KBR)との間で、イラクにおける(最長5年に延長可能な)2年間のサービス契約を、「緊急を要する」という理由で入札をせずに締結することに異を唱えた。彼女は、その契約は競争入札を実施するまでの「つなぎ」であり、期間は1年に限定すべきだと考え、最終的な契約承認の文書にインクでその旨の意見を明記した。

 2004年10月、グリーンハウスが部隊の新任指揮官にKBRとの不適切な契約に関する疑念の概要を伝えてから4日後に、指揮官から彼女に手紙が届いた。そこには、彼女は現在の職を解かれ、Senior Executive Service(准将に相当)から降格となるか、完全給付つきで直ちに退官するかを選択すべし、と書かれていた。2004年10月21日、グリーンハウスの弁護人が陸軍長官代理(acting secretary)に書面で調査を求めたことにより覆った。

 陸軍長官代理は、国防総省の監察官室に調査を指示し、グリーンハウスに対する不利益行為をすべて中止させた。彼女は公式な調査要請を連邦議会議員に申請した。

 この件が各メディアで取り上げられ、民主党の下院議員たちが彼女の証言を要請した。それを知った陸軍工兵隊は、直ちに法務顧問代理(acting general counsel)からグリーンハウスに対して証言はしないほうが身のためだと伝えた。しかし、彼女は、2005年6月27日に上院民主党政策委員会の公聴会において、部隊の行動を非難した。

 2005年7月、部隊の指揮官はグリーンハウスに対して、昨年秋に提示した完全給付つき退職のオプションを無効とし、彼女を解任および降格とすると伝えた。翌8月には、3人の民主党議員が当時の国防長官ドナルド・ラムズフェルドに手紙を送り、彼女の降格は、議会での証言に対する「報復と考えられる」との懸念を表明した。

 グリーンハウスによると、彼女は今でも「部隊の主流からは完全に外れた薄暗い小部屋で」大した職務も与えられずに働き続けている。国防総省の調査部門からのコンタクトは全くないという。

 「私に対する処分は、政府の調達部門で働く人々を萎縮させ続けています。」Fraud Magazineの2006年7月・8月号でのインタビューで彼女はそう語った。「私の解任により、契約における濫用を防止する努力を上層部は容認しないということが明確になりました。・・・私は、イラク戦争の準備段階における契約権限の濫用に対して強い反対意見を表明し、入札もせずに何十億ドルという契約を原価加算方式で締結することに疑問を呈しました。・・・私があまりに忠実に職務を遂行し、陸軍の契約慣行としてはびこるえこひいきや男尊女卑の意識に従わなかったために、私は職を失ったのです。」

 グリーンハウスは、堂々と意見を述べたことに満足していると語った。「政府において、誠実であることは選択肢ではありません。必須事項なのです」彼女は、2006年のセンティネル賞を受賞した。

 2007年8月、グリーンハウスは連邦政府勤続25年を果したが、陸軍工兵隊は、2008年6月に行った25年勤続者の表彰式に彼女を招かず、表彰者のリストにも記載しなかった。2008年9月、何者かが表彰状と記念バッジが入った封筒を彼女の机の上にそっと置いた。「私はそのように残念な環境で毎日働いているのです」とグリーンハウスは語った。



エンロン内部のうるさ型 (ENRON’S INTERNAL GADFLY)


 2001年12月3日はエンロンにおける暗黒の月曜日であった。同社が破産を申し立てたのである。5,000人近い従業員がヒューストン中心街の同社本部に召集され、前回渡された給与小切手が最後のものになると告げられた。クリスマス3週間前のことであった。

 同年8月、当時エンロンのバイスプレジデントであったシェロン・ワトキンスは、匿名のメモをエンロンの会長兼CEOケン・レイに送った。そこには「我々が会計スキャンダルの渦中で破綻することをとても恐れています」と書かれてあった。

 それはまさしく現実のものとなった。会社が消滅した後、連邦議会は捜査の過程で、ワトキンスがレイと上級幹部に宛てたメモを発見した。(メモを送った後、彼女はレイと会ったが、何の収穫もなかった。)ワトキンスは程なく「内部告発者」として賞賛を浴び、彼女は議会と上院聴聞会で自分の元上司を追求するために証言し、タイム紙からワールドコムのシンシア・クーパー、FBIのコリーン・ロウリーと共に、”Person of the Year”に選ばれた。

 2007年1月のFraud Magazineとのインタビューにおいて、ワトキンスは、エンロンの破綻は「道徳的価値観の完全な崩壊」に起因したと語った。「しかし、恐ろしいことに、その崩壊は(経営者の)明確な意図によるものではなく、組織全体が少しずつに間違った方向へ向かうという形で進行したのです。」

 彼女は、ゆでガエルのたとえ話を出して次のように説明した。「もし、カエルが熱湯の入った鍋の中へ放り込まれたら、飛び上がって逃げるでしょう。しかし、カエルを冷たい水に入れて、水を徐々に温めていったら、カエルは鍋の中でゆで上がって死んでしまうのです。」

 「リーダーも従業員も、善悪の違いが明らかな選択肢を与えられたときには、間違った判断はしません。しかし、まずいと感じつつも正当化してしまうようなグレーゾーンがあるのです。」

 エンロンの会計処理が独創的(creative)なものから強引(aggressive)なものへ移行したとき、鍋の中の水はぬるま湯になったとワトキンスは指摘する。「不幸なことに、誰も異を唱える者はおらず、独創的な取引に関わっていた人々は強引な取引にも関わり、ついには不正取引を行うという不幸な事態に至ってしまったのです。水は沸騰し、彼らは身動きがとれなくなってしまいました。」

 「私はACFEに深く感謝しています」と彼女は言う。「ACFEのような組織を立ち上げるには、情熱と血のにじむような努力、汗と涙が必要です。ジョー・ウェルズは、不正を発見し、阻止することが会計士の仕事であると堅く信じていました。そのような情熱と懸命な努力があればこそ、ACFEは健全な成功を収め、不正撲滅のための組織となったのです。」

 ワトキンスは今でも不正抑止、米国企業の文化、倫理関連について講演、執筆を続けている。

 彼女は最近、Fraud Magazineの取材に対して次のように語った。「現在の金融危機はエンロンの息の根を止めたものと同じ病が、さらに威力を増して再発したものだといえます。際限のない報酬慣行は、従業員に対して、会社に致命傷を与えるほどのリスクを取るインセンティブを与えてしまいました。リスクを取る見返りがボーナスという個人に対する短期的な給付として支払われるために、従業員を企業破綻のリスクから隔離してしまったのです。」



環境保護局の元監視官 (EPA’S FORMER WATCHDOG)


 2007年のセンティネル賞受賞者であるウィリアム・サンジョア氏は、自分は「正しいことを毅然として貫き通してきた人々のあとに続いた」と語った。彼は、米国環境保護庁(Environmental Protection Agency, EPA)における欺瞞と不公平に30年以上立ち向かってきた。

 1960年代の後半に、EPAはサンジョアをコンサルタントとして雇用した。数年後、有害廃棄物管理部の部門長となり、有害廃棄物による被害や処理技術の研究を統括した。彼の努力は1976年資源保護再生法(Resource Conservation and Recovery Act of 1976, RCRA)の成立につながった。

 有害廃棄物の処理、保管、廃棄に関する規制を強化し、RCRAの精神を実現しようとした彼は、EPAEPA、歴代の政権、そして複数の政府機関との長期にわたる戦いを余儀なくされた。

 1995年、サンジョアは米国連邦政府を相手取った訴訟で歴史的な勝利を収め、合衆国憲法修正第1条で保証された、従業員が雇用主に関する「内部告発をする」権利を確立した。現在まで、この判決は覆されていない。2001年に退職するまで、サンジョア氏は報復、異動、降格、法的対立に直面し続けた。

 2007年9月・10月号のFraud Magazineでのインタビューにおいて、サンジョアは、自分は偉大なる告発者であるマルティン・ルターの行動を手本にしたと語った。「教会の上層部の怒りを買ったときに、彼は引き下がらずに大衆と彼の考えに共鳴した北ドイツの君主たちを味方につけ、教会の権威に反抗したのです」「私も同じように、環境保護団体や議会、マスコミと手を携えました。彼らは、声を上げ続けるよう私を勇気づけてくれ、その反動から私を守ってくれました。」



ワールドコムの粘り強い監査人 (TENACIOUS WORLDCOM AUDITOR)


 「おじけづいてはだめよ。」パツィ・フェレル(Patsy Ferrell)は、自分の幼い娘シンシアが小学校でいじめに遭ったとき、決まってこういった。何年もあとに、シンシアがワールドコムで巨額の不正を発見したとき、彼女はその時の母の教えを思い起こすことになる。

 疑わしい取引を精力的に調査するのか、それとも目をそらすのかという決断に直面し、彼女は立派な行いをし、最後まで犯罪を追及した。しかし、その間何カ月にもわたって、恐怖に怯え、胃がむかつき、両手は震え続けた。

 1994年、シンシアはミシシッピ州のジャクソンにあるワールドコム(当時はLDDSとして知られていた)で内部監査の業務に就いた。彼女の故郷である人口23,000人の同州クリントンに会社が移転したとき、夫・子供・親族そして長年の友人に囲まれ適所に身を落ち着かせることができそうだと彼女は思った。しかし2002年夏、内部監査のバイス・プレジデントとしていくつかの会計記録について疑念が膨らんでいった時期から、彼女の悪夢は始まった。彼女のチームは調査を進めたが、誰も率直に質問に答えてくれなかった。

 Fraud Magazineの2008年3月・4月号でのインタビュー記事において、クーパーは次のように語っている。「監査人であるあなたに対して、誰かが敵対的な態度をとったり、普段とは違う言動をしたりしている場合には、なぜだろうと自問すべきです。ACFEの不正対策トレーニングや監査人としての経験から得た直感から、私に再調査を行いました。」

 クーパーが率いる監査チームの努力により、大規模な不正が明るみに出た。2002年6月25日、ワールドコムは、過去5回の四半期決算において、38億ドルの利益を過大計上したと発表した。その額は最終的に約110億ドルに達し、米国史上最悪の企業不正として知られることとなった。ワールドコムの事件が、議会によるサーベインズ=オクスリー法の可決を加速させたと指摘する者もいる。同年、TIME誌はクーパーを、エンロンのシェロン・ワトキンス、FBIのコリーン・ロウリーと共に、“Person of the Year”に選出した。

 クーパーは、クーパーサクストン・グループLLCのプレジデントとして、企業研修や倫理、コンプライアンス、ガバナンス、リスク管理、内部調査、フォレンジック調査、訴訟支援等に関する専門サービスを提供している。

 クーパーは、講演において、不正検査士や監査人に対し、常に自分の直感に耳を傾けるように勇気づけている。「何かがおかしいと感じたら、実際にそうなのかもしれません。協力を求め続け、自分が正しく理解したと満足するまで事実を探求し続けてください。決して上司からのプレッシャーに負けないでください。」

 監視役となり得る人々すべてへの良きアドバイスである。



ディック・カローザ氏は、Fraud Magazineの編集長である。


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