タックス・ラウンジ
バックナンバー

財務省正面玄関の看板
(2016/03/29)

 平成9年の中央省庁再編は大きな改革であった。阪神淡路大震災の危機管理対応への反省や首都機能移転問題との関係で浮上した当時の中央省庁改革議論は、折しも消費税増税についての議論のなか、「身を切る改革」の必要性が叫ばれていたことから、当時の橋本龍太郎首相は霞が関改革に着手したのである。「大蔵改革なくして行革なし」といわれるなか、当時、総理大臣秘書官を務めたのが現衆議員議員の江田憲司氏である。氏によると、政府・与党の会議では、自民党幹部が大蔵バッシングに対する抵抗を見せていたといい、官邸におく「経済財政諮問会議」に「財政」という2文字を入れるだけで苦労したという。大蔵省不祥事ののち、金融検査だけを移管する金融監督庁構想に止まるのか、金融行政の企画立案や許認可までをも完全分離するのかという選択があったが、最終的には後者となったのは周知のとおりである。

 現在、省庁の正面玄関にかかっている看板は上記の中央省庁再編時の閣僚の揮毫であるが、財務省だけはコンピュータグラフィックスだ。これは、大蔵省出身の当時の宮沢喜一財務相が拒否したからだという。そのくらい「大蔵省」の名前に思い入れがあったということらしい(参考:平成24年5月10日付け日本経済新聞)。

(出所:酒井克彦・税のしるべ平成24年6月11日号)