会計事務所と顧問先をむすぶCLUE 第129号

 ≪CONTENTS≫

 今月の特集・・・ 『これで簡単!!勘定科目』
 経理・税務・・・・ 『経理業務を『最高』に合理化する』
 経営・財務・・・・ 『歴史に学ぶ戦国上杉家と企業経営』





 今月の特集

これで簡単!!勘定科目

経理処理で一番悩むことは、「勘定科目を何にすればいいのだろう」だと思います。その場合、第一にすることは、自社の勘定科目決定書を作成することです。


勘定科目は、会社の取引を勘定科目というボックスに整理・整頓し、会社の財政状態・経営成績を正確に掴むためのものです。経営に役立つ経理とは、経営者に毎月正確な月次決算を報告し、経過月の実績+未経過月の月次予算から会社の決算期の姿を正確に掴むことに寄与することです。そのためには、実積の勘定科目と月次予算の勘定科目が一致していなければなりません。

また、各経理担当者が勝手に勘定科目を決めてしまうと経営陣に正確な経営情報が掴めません。そうならないためにも、「どういった支払いは、何科目で処理する」といった『勘定科目決定書』をできるだけ具体的にまとめておくと便利です。そうすれば、誰でも経理処理ができますし、月次予算を作成する経営陣と経理処理する経理担当者とが異なっていても、科目の同一性が保たれます。作成方法はいたって簡単です。各勘定元帳を下図のサンプルに沿って整理整頓すれば良いだけです。


勘定科目区分の法則

1.経費全体で金額の5%以下の科目を整理・整頓、科目をまとめましょう。

[経営管理上必要な科目]

例)管理可能経費…

飲食業であれば、水道代・ガス代・電気代等区分する。おしぼり・割り箸等は販促費として消耗品費と区分した方が管理しやすい。


2.運送業等は車両関係の経費を区分して車両費として管理した方が便利。


3.月次決算書は1枚に納めた方が見やすい。経費勘定科目は25科目区分を目標にし、詳細は補助科目で管理するのがベターです。


4.月次決算、本決算書作成の利便性から、決算書内訳項目である、役員報酬・地代家賃・租税公課・雑収入・雑損失等は区分し、補助科目で詳細設定しておくことが決算を早めるコツです。


5.消費税の観点から、手数料勘定のカード手数料は非課税仕入れですので、他の手数料勘定と区分しておくと便利です。補助科目区分でも良いでしょう。


6.税金の計算上、交際費を非課税交際費と課税交際費に区分しておくと便利です。


7.製造勘定と販売費及び一般管理費の区分は、在庫計上の関係で利益が変わりますので、厳密な区分を要します。


8.間違いが多い勘定科目
勘定科目は金融機関、税務署、株主等の利害関係者に分かりやすく、継続性があることが要です。


▼買掛金と未払金、未払費用
買掛金は売上原価に対するもの、未払金は販売費及び一般管理費に対するもの、未払費用は、決算時の経過勘定。

▼売掛金と未収入金
売掛金は売上に対応。未収入金はそれ以外の資産の売却、貸付金の利息等に使用します。

▼消耗品費と備品、備品費
消耗品費は時の経過で滅失するもの。トイレットペーパー・コピー用紙等。備品は10万円以上のもの(机・パソコン・プリンター等)。備品費は10万円未満のもの。


標準勘定科目決定書 [標準サンプル書式]ダウンロード





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経理業務を『最高』に合理化する
〜経理業務の「リニューアル」は可能か〜

世界同時不況の過酷な状況下において、非生産部門と言われる経理部門については、より一層の業務改善による合理化・スリム化が必要と言えます。しかし現実には、営業部門・生産部門の立て直しや資金調達等の資金繰り改善策に優先順位が置かれ、思うように経理部門の合理化が進まないのではないでしょうか。

しかし、経理業務を【最高】に合理化とすることにより、経理担当者の業務を半分に減らすことも可能だとしたらどうでしょう。

ここでは、企業経営者が普段抱いている経理業務に対する悩みを考えつつ、経理の【最高】の合理化を目指し、如何にシンプルに、かつミスのない方法をどうやって構築するかを検討していきます。


1.企業が抱える経理の悩み

まず、企業経営者が経理に対して抱く悩みを考えてみましょう。概ね以下のようなものが考えられるのではないでしょうか。

(1)非生産部門なので、出来るだけお金をかけたくない。
(2)お金のことだから、信頼できる人でないと任せられない。
(3)直近の試算表を見たくても、まだ完成していないことが多い。
(4)いつも残業をしているが、何が忙しいのかよくわからない。


2.「合理化」すなわち「ムリ・ムダ・ムラの排除」

なぜ経理の合理化が上手に進まないのか。その疑問を紐解いていきましょう。

まず、経理を合理化させる目的を考えましょう。経営者が抱く「理想の経理」とは何であるのか。上記のとおりそれは「まずはミスなく効率的かつシンプルに業務が行われること。そして可能な限り財務の数値を経営に活用したい」に尽きるのではないでしょうか。

経理は本来その企業の資金全体を管理する部門であり、企業内の資金の流れが見えていないとその本来の役割を果たせません。これは上記(2)にも通じる問題ですが、つまり経理責任者とは、本来は経営者の右腕に相当する人が担当すべき部署なのです。
「そんなことを言ったら、役員クラスの高待遇の社員を充てなければならない。それではお金が一層かかってしまう」と思われることでしょう。

ここで大事なことは「資金の管理が出来て、経営者が判断可能な【情報を提供】するための経理」と「日々の入出金業務や会計データの打ち込み等を行う【作業】としての経理」を明確に分けることです。


3.『最高』に合理化する方法論

◆パソコンの導入だけでは意味が無い

パソコンの導入で効率化が図れるでしょうか。半分は正解です。確かにそれまでの手書き処理や複雑な計算は、パソコンの導入で作業時間は飛躍的に短縮されます。落とし穴は「業務に直接必要のない資料でも、きれいに作成することができる」ということにあります。つまり効率化のために導入したパソコンで、意味のない集計や、少し気になったデータを思いつきで作成してしまうということが少なくないのです。これでは時間短縮のために導入したパソコンが、全く逆の意味を持ってしまいます。


◆完璧を追いかけない

これも実際には、例えば1円単位の計算を疎かにする経理は褒められたものではありません。しかしその1円を合わせるために、経理の業務は得てして「完璧」を求めてしまいがちです。しかしどんな業務にも「完璧」はありません。これを忘れてしまうと、どこまでも1円を追いかけ、またすべての作業に完璧を求める「非効率な」経理が出来上がってしまいます。経理の業務は、時間はいくらあっても足りないのです。これを忘れてはなりません。


◆ファイルの種類は増やさない

電話料金の引落しだけでも、NTTからKDDI、携帯電話会社といった複数の会社から請求書が届きます。仕入先や外注先が2〜3社という企業は少ないのではないでしょうか。このすべての取引先ごとにファイルを作成して請求書をファイリングすることにどれだけの意味があるのでしょうか。年に何回も利用することは稀です。そのために経理担当者の残業代がかかっているのであれば、全く本末転倒です。ファイリングを分けるべきは「経営管理に必要となるデータ」のために行われるものに限られるべきです。そのような重要事項となる請求書等の資料は、ほんの一握りではないでしょうか。

ではファイリングはどうするのか。経理を【最高】に合理化するのならば、ファイルの種類は、1.当社発行の請求書(売掛金/売上)、2.支払先からの請求書(原価/買掛金・又は経費/未払金)、3.自動引落し関係の請求書や明細書(経費/未払金)、4.給与台帳、5.現金出納帳と領収書綴り(経費/現金)の5種類のみで事足りることになります。
(業務契約書、賃貸借契約書、取締役会議事録等の「狭義の経理業務」以外ファイルは除きます)


◆ファイリング方法も「超」簡素化

経理に届いた請求書は、届いた順に、ファイルの一番上に綴じて済ませることができます。いちいち請求書を日付順に並べ替えたりはしません。市販のDリングファイルなら、パンチで請求書に穴を空けるだけで綴じることができます。上から押さえつけるようなファイルや、二穴でもいちいち金具を外さなければならないようなファイルは避けるべきです。

特に請求書は、入金済み(支払済み)なのか未入金(未払い)なのかは明確にしなければなりません。ファイルに一枚厚紙のインデックス等を挟んで入金済み(支払い済み)ならインデックスの下に移動させれば一目瞭然です。特に売掛金については入金時の移動の際、入金日の記入をすべきです。


◆小口現金は必要か?

・交通費の精算は1ヶ月に1回にまとめ、給与振込み時に合わせて振込む。
・宅急便等の支払いは月ごとにまとめて請求書でもらい、あとから振込む。
・出張時の仮払いは事前に経理に連絡をもらい、やはり振込む。

と、小口現金を持たない方法も可能です。これにより現金管理する手間が省け、劇的に業務時間が短縮されることは間違いありません。
代引きや細々した支払いのため、最小限の小口現金を用意することもいいとは思いますが、多少の経費は経理担当者や役員が立て替え、週一回精算するなどの対応も出来るでしょう。


◆コンビニATMの登場

最近では、「銀行よりコンビニ方が近い」という会社は多くなったのではないでしょうか。現在のコンビニATMは、使い勝手が飛躍的に向上しました。都市銀行や地方銀行のキャッシュカードの取扱いはもちろん、手数料の無料化、24時間365日稼動、引出しだけでなく預入れも可能、もちろん振込みも可能、等々、会社の小口現金代わりに利用しない手はありません。





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歴史に学ぶ戦国上杉家と企業経営

今年の大河ドラマは直江兼続が主人公。歴史好きの人以外にはあまり知られていませんが、戦国時代に上杉家を支えた人物です。


直江兼続の生涯

▼戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。上杉氏の家老。

兼続は、桶狭間の戦いがあった1560年、謙信のいとこ、長尾政景の家臣・樋口兼豊の長男として現在の南魚沼市に生まれました。幼名は与六。早くから聡明さを見込まれ、政景の子・景勝(後に上杉謙信の養子になる)の近習に取り立てられます。

「兼続は上杉家の舵(かじ)取りを任せられる大きな器の持ち主」と、景勝から絶大な信頼を得ていたことが上杉家文書に出てきます。秀吉は兼続を「天下の治世を任じ得る人物」と絶賛したと言われています。

1598年、景勝が会津百二十万石に移封されると、兼続は景勝の下臣では異例の米沢三十万石を与えられています。秀吉の死後、家康から景勝にかけられた謀反の嫌疑にも、理をもって堂々と反論。これが世に言う「直江状」です。西軍に加担した上杉氏は、兼続の米沢三十万石へと追われました。

1619年、兼続は60年の生涯を閉じました。


戦国上杉家に学ぶ後退期の経営

ご存じのない方も多いですが、明治初期、日本で一番人口の多い県は、今の東京ではなく越後の国、今の新潟県であったそうです。明治20年代になって初めて東京が人口1位となったとのこと。江戸時代から明治初期までは農業が最大の産業でしたので、米どころ新潟は仕事も食糧も一番あり、人口も最大であったことが理解できます。

戦国上杉家は、最盛期には米どころ越後・富山・能登・山形の庄内地方、群馬県・栃木県・長野県の一部まで支配下に置き、二百五十万石の大大名でした。さらに佐渡金山の豊富な金もあったそうですが、秀吉によって、雪深い会津百二十万石へ、さらに徳川家康によって直江兼続の支配国であった米沢三十万石へと減封されていきます。後に世次がおらず、さらに十八万石まで減封され、明治の世を迎えています。上杉謙信の最盛期二百五十万石に比較して何と16分の1まで領国が縮小しています。会社で言えば、25億の売上の会社が1億5千万円の会社に縮小したと想像してください。特筆すべきは、16分の1に減封された上杉家では家来を解雇せず、今で言えば「ワークシェアリング」ともいうべきことが行われ、家来のほぼ全員が年俸減額で越後・会津・米沢へと移動していったそうです。給料が16分の1になっても会社を辞めない社員達を支えたのは、謙信以来の「義」であったように思えます。上杉謙信は私利私欲で戦をしませんでした。ドンキホーテのように古臭い「正義」を追求し続けた戦国武将と言われ、今でも人気のある人物です。

関ヶ原の戦いの後、三十万石だった直江兼続は、実に60分の1の五千石に自らの報酬を減らしたと言われています。なるほど経営の本質を見ない人。また歴史の流れを見ない人から見れば、たかが三十万石の上杉家の家老にすぎないものが、豊臣秀吉なき世、次代の天下人、徳川家康に無謀な喧嘩をしかけた愚かな人と見えたかもしれません。敗れた兼続に対して、「それこそ自己責任というもので、関ケ原の敗戦後、命があっただけでも儲けものだ」といった見方もあったでしょう。

しかし徳川家康が次代の天下人というのは、歴史の結果からの判断で、豊臣五大老のうち、上杉・毛利・宇喜多の三大名は西軍、前田は中立、島津・立花等も西軍で、東軍の主力である福島・加藤、細川、黒田、裏切った小早川等も秀吉子飼いの武将で、家康が豊臣家の内部対立を上手に利用しただけであることが分かります。豊臣家対徳川家の構図であれば、10対1の規模で豊臣家に分があり、豊臣家が勝利したと思われます。関ケ原の戦いの過程で政治的に徳川家康が勝利したのであり、その面で豊臣家に歴史をみる眼のある人がいなかったと言えますが、当時の客観的判断では掛け率は五分五分だったのではないでしょうか。

さらに、もう少し長いスパンで見てみると、戦国の世、武田・朝倉・北条・大友といった戦国大名の雄は既になく、家康に従った、福島、加藤、最上、里見等は取潰されているのを見ると、豊臣五大老のうち、家康、毛利についで第3位であった戦国上杉家が明治の世まで生き残れた確率は極めて低いものであったと思います。秀吉亡き後、挑発を重ねる徳川家康に、謙信以来の「義」を掲げて、単身徳川家康に喧嘩を売り、勝たないまでも、負けないことによって、天下に義を示した上杉家だからこそ、家臣の心、求心力を支えに、過酷な戦国、江戸時代を生き抜いたと言えるのではないでしょうか。

挑発と降服を要求する徳川家康に対して、誇り高き謙信時代の生き残りの家臣を抱えて、あっさり降服していれば、家臣は納得したでしょうか。さらに家康が、上杉家を百五十万石のまま、謙信以来の武将を抱え、存続させたでしょうか。十八万石になったからこそ江戸時代後期には上杉鷹山(治憲)が出て、倹約と殖産興業を行い、今で言う構造改革を成し遂げたのではないのでしょうか。会社は成長期であれば経営はそんなに難しくはありません。本当に難しいのは、バブル崩壊や今回の米国発サブプライム不況のような後退期の企業経営です。

上杉家から私たちが学ぶとすれば、「経営の大義を持つこと」「眼先の利で動かぬこと」「後退期には構造改革・人材育成のチャンス」「経営者は自らに厳しく」であることではないでしょうか。


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