「科学者の才能」
カテゴリ:07.プレジデントニュース 
作成日:09/12/2000  提供元:プレジデント社



 8月の半ば、栃木県那須高原にトマトの研究所の見学に行ってきました。
 この研究所ではトマトの品種8000種のうち、6500種の種子を保有していて、これは民間の施設としては世界一なのだそうです。研究のほうも大がかりで、トマトの種は20年以上経つと発芽しにくくなるため、毎年、20分の1にあたる約300種を人工的に受粉させて世代交代させているのだといいます。
 とりわけ印象的だったのは、ジョイントレスのトマトを開発した話で、通常トマトのヘタにはジョイントと呼ばれるつなぎ目があって、もいだときにジョイントのところでヘタが分かれ、実の部分にその一部が残るのですが、ジュースに加工する場合は、ヘタが混濁の原因になるため、ジョイントのないトマトは研究者たちの長年の夢だったのだとか。この品種改良には17年がかかったといいます。

 この話を聞いて思い出したのは、2年前に取材したワシントン国立癌研究所の日本人研究者・満屋裕明さんのことです。先日、新聞の「ひと」欄でも紹介されたので、ご存知の方も多いかもしれませんが、HIVの最初の治療薬を開発したのは日本人で、満屋さんがその当人です。村上龍の自伝的青春小説『69』にも、主人公が思いを寄せる美少女を妻にした医師として、若き日の姿が登場します。

 取材はワシントンと、満屋さんが教授を勤める熊本大学の双方で行われましたが、満屋さんはどちらにいるときでも朝から夜中近くまで働き通し、手がける実験によっては朝の3時か4時まで研究室に詰めることもあるのだとか。2年前からアメリカと日本を2週間毎に往復する生活ですが、大学時代に恩師から「研究者はゴルフと麻雀はやるな。時間を取られすぎる」といわれ、いまでもそれを守っているといいます。
 それでも、音楽とお酒が趣味で、何度かお酒をご一緒させていただき、一度才能についての話になったことがありました。それまで、取材した音楽家や画家から才能について聞かされたことはあっても、科学者にとっての才能というのは初めて耳にしたので、思わず「えっ? 科学者にも才能なんてあるんですか?」と聞き返してしまったのですが、確かにHIVの治療薬ともなれば全世界の研究者が開発に力を注いでいる最たるもの。満屋さんは「科学者は変節漢でなくてはならない」「優秀な研究所がしのぎを削っていて、それでも偶然には負ける」とも話していましたが、数え切れないほどの研究者の間で何が新薬発見の明暗をわけるのかといえば、それが偶然だったり、運だったり、もしかしたら才能と呼ばれるものなのかもしれません。


 那須のトマト研究所を案内してくれた研究者は、最後にこんなことをいっていました。
「学校を出て入所してから定年で退所するまで、一度も自分が携わった開発の結果を見られない研究者も多いんですよ」


〔プレジデント編集部〕