誰がプロ野球を殺したのか
カテゴリ:07.プレジデントニュース 
作成日:01/15/2005  提供元:プレジデント社



 こどもの頃、毎週土曜日の夜が楽しみで待ちきれなかった。「ジャ~ン、ジャジャジャンジャジャ~ン」 テレビからトランペットとバイオリンの音が流れてきて、そのあとに始まるのが、野球好きのこどもの心をとらえて離さないアニメ「巨人の星」星飛雄馬の物語だった。

 梶原一騎原作の「巨人の星」は、少年マガジンで連載された6年間も、またテレビ放映された4年間も、ともにジャイアンツのV9時代(1965年~73年)と重なっている。「巨人 大鵬 卵焼き」などと言われ、ほとんどの少年が、黒地にオレンジ色でYGと縫い付けられた野球帽をかぶっていた。この黄金期がその後の圧倒的なジャイアンツ人気の基礎となり、V9の選手たちは時代の英雄だった。

 そのジャイアンツに、いつしか金と利権によって動く黒い球団というイメージがつきまとうようになったのはなぜなのだろうか。組織の資金力を背景に次々と他球団の主砲を迎え入れ、その威力が薄れると使い捨てにしてしまう驕ったスカウティング。裏金を渡してドラフトの目玉選手を獲得しようとする歪んだ交渉の手口。ファンの心を離れさせる灰色のでき事の源点を探していくと、多くの人が江川卓の「空白の一日」事件にたどり着くのではないだろうか。

 昨年、表舞台から降りた3人の男たちがいる。一人は、3月、脳梗塞で倒れたのちリハビリ治療を続けている長嶋茂雄氏。いま一人は、8月、ジャイアンツのオーナーを辞任した渡邉恒雄氏。もう一人は、10月、西武鉄道株の虚偽記載問題で全グループ企業の取締役を辞任した堤義明氏。

 奇しくもこの3人の男たちに仕える運命をたどった人物に河田弘道氏がいる。河田氏は、西武グループで野球担当取締役として堤氏から下される特命の任務を受けもった。その後は、巨人軍編成本部付アドバイザー兼監督補佐として長嶋政権の下、米国流の新鮮なマネジメント手法を導入することによってジャイアンツの改革をすすめようとし、94年の日本一、96年のリーグ優勝の原動力となった。

 河田氏がジャイアンツに籍を置いた94年から97年の4年間、河田氏の目を通して球団内部を見ることは、ジャイアンツが衰退していく劇的な一場面をのぞいていただくことになります。

 気鋭のノンフィクション作家・武田頼政さんが、事実をもとにこの劇的な一場面を綴る小誌の連載「『巨人軍衰亡』の内幕」を、どうぞご一読ください。

〔プレジデント編集部 editor's letter〕