老探偵に教わったこと
カテゴリ:07.プレジデントニュース 
作成日:03/26/2007  提供元:プレジデント社



 10数年前、取材先で児玉道尚(みちなお)さんという老探偵と知り合った。ただならぬ眼光に惹かれ、東京・中野区の「日本探偵協会 探偵警備士養成学校」に出入りするようになった。

 そこで得体の知れぬ中華風の酒や食物を堪能しながら、とりとめもない話をするのが常だった。既に70を越えていたが、30代前半の筆者が到底及ばぬ気力・体力・食欲に少なからず驚かされた。

 探偵は智恵の限りを尽くして人心を動かし、口を開かせ、得た情報を磨いてゆく商売だ。警察のような法的な後ろ盾はないが、記者とは共通点が多い。好奇心が高じて色々教えて頂いた。商法・民法・刑法や犯罪心理学、法医学、簿記・会計……特に「これができなければ探偵は務まらない」という尾行・撮影・張り込みの実習はなかなか厳しかった。

 自動車教習所よろしく歩き方・体捌きの基礎訓練から始まり、連日の路上実習に至るまでみっちりと仕込まれた。休日の某所で立ったまま7時間近く張り込みをさせられたり、真夏に汗だくになりながら、事務所の若い探偵さんの後ろに食らいついて歩いた。取材の合間に通ったとはいえ、基礎を身につけるのに5カ月近くかかった記憶がある。

 「探偵学は人間生活・生存学」が口癖だった。生活の智恵、生き残る術(すべ)、というところだ。事務所で油を売りながら、児玉さんの起居動作を見るだけでも勉強になった。最も興味深く拝聴した「情報学」の講義は、いわばそのエッセンスだった。情報とは何か。なぜ重要なのか。どうやって集め、精査し、そして行動の指針とするのか。

 「注意力・観察力・記憶力」をくどいほど繰り返した。独特の言い回しや格言がふんだんに登場した。どれも活字・映像・ウェブに頼れぬぎりぎりの仕事に裏打ちされ、簡素で示唆に富み、なぜか懐かしい匂いがした。

 もっと本格的に教えて頂こうと構えたその矢先、1999年夏に児玉さんは突然病で倒れ、帰らぬ人となった。享年73歳。まさかあの頑丈なじいさんが……呆然とした。正に痛恨の極みだった。

 「生活の智恵」「生き残りの術」は、誰もが磨くことのできる、また磨かねばならぬスキルである。が、筆者も含めて皆が一定水準に達しているとは言い難い。児玉さんが事あるごとに日本や日本人の情報音痴・平和ボケぶりを痛憤し、旧帝国陸軍中野学校の校歌「三三壮途(さんさんわかれ)の歌」をテープで聞いてそっと涙していた光景が目に焼きついて離れない。

 "1億総護送船団"が機能不全となり、地政学上のリスクがごく間近に頭をもたげた今、国内でようやく危機意識の萌芽が見られるのは皮肉な話だ。鬼籍に入られてから既に7年半、「どんどん世の中は悪くなる。テロも流行る。きっと役に立つから勉強しなさい」という児玉さんの言葉がリアリティを帯び始めている。

 尾行・張り込みほどハードではないが、最新号「男の家計簿」、前号「情報の達人」は、仕事や生活の智恵、生き残りのためのヒントがぎっしり詰まっている。不肖の弟子が関わったこれらの仕事を、児玉さんはどう読んでくれるだろうか。

〔プレジデント編集部 editor's letter〕