FRAUD MAGAZINE

ヘア博士、バビアク博士とのインタビュー 「スーツを着た蛇」を知る男たち
Interview with Dr. Hare and Dr. Babiak These Men Know ‘Snakes in Suits’
精神病質の不正実行者を見分ける
IDENTIFYING PSYCHOPATHIC FRAUDSTERS

ディック・カローザ 著
By Dick Carozza



 精神病質者(psychopaths、以下「サイコパス」)全員が不正を犯すという訳ではないが、不正実行者の中にはサイコパスもいる。不正検査士の役割の1つとして、サイコパスの傾向を示していると思われる従業員を個々に見抜くことにより、不正抑止を支援することがある。サイコパス研究の専門家である心理学者のロバート・D・ヘア、ポール・バビアク博士が、この異常な性格の持ち主がどのようにして組織を蝕むのか、そして彼らにどう対処すべきかを語る。


 サムは、バクメ社のロビーに颯爽と入ってきた。仕立てのよいスーツを完璧に着こなし、つやのある皮のブリーフケースを提げた彼は、受付に笑顔で話しかけた。「こんにちは。サム・スミスソンと申します。御社のトリバー様との2回目の面接に参りました」「はい、スミスソン様。トリバーはお待ち申し上げております」サムが階段を昇る姿に周囲の視線が集中した。

 「サム、また会えて何よりだよ」「こちらこそ、改めて面接の機会を頂きありがとうございます、トリバーさん」バクメ社は景気後退の影響を受けて苦境に立たされており、そこから脱するための「白馬の騎士」を必要としていた。サムの職務経歴書は要件を満たしており、リーダーとしての素養も備え、従業員の士気と会社の収益を向上させるために必要な熱意も感じられた。ヴァイス・プレジデントの候補としては申し分なかった。

 不幸なことに、トリバー氏はサムが典型的なサイコパスであるということを知らなかった。彼は、笑顔でおだやかな態度を装ってはいるが、実は不誠実で、他人を思い通りに操ろうとする人間だったのだ。人の話を熱心に聴くふりをするが、自分のことしか考えないのである。

 入社後1年と経たないうちに、サムは「使えそうな」人たちに取り入った。経営陣だけでなく、実務を取り仕切る中間管理職や管理スタッフなどの「非公式なリーダー」ともいえる人々をうまく手名づけた。ほどなく、彼は社内の多くの部署をコントロールするようになり、会社の資金を着服し始めた。そして、バクメ社が何百万ドルという資金を横領されたと気づいたときには、笑顔の「白馬の騎士」サムは、次の会社へと転職していたのである。


 サイコパス全員が不正を犯すという訳ではないが、不正実行者の中にはサイコパスもいる。不正検査士の役割の1つとして、サイコパスの傾向を示していると思われる従業員を個々に見抜くことにより、不正抑止を支援することがある。

 「Snakes in Suits: When Psychopaths Go to Work(スーツを着た蛇:サイコパスが仕事に行くとき/邦訳題『社内の知的確信犯を探し出せ』)」の著者であるロバート・D・ヘア、ポール・バビアク両博士は、サイコパスとその影響について長年研究してきた。バビアク氏は産業/組織心理学者であり、経営者養成および事業継承に特化したエグゼクティブ・コーチングおよびコンサルティング会社、HRBackOfficeの社長である。精神病質(psychopathy、以下「サイコパシー」)診断の標準ツールの開発者であり、「Without Conscience: The Disturbing World of the Psychopaths Among us(良心なき者:我々を不安に陥れるサイコパスの世界)」の著者であるヘア氏は、ブリティッシュ・コロンビア大学の心理学の名誉教授であり、フォレンジック・リサーチおよびコンサルティングを行うDarkstone Research Group社の社長も務めている。

 「サイコパスは、自分が円滑にキャリアアップできるような外見を装うことに精力を注ぎます」とヘア氏は言う。「採用面接においては、自分が才能と能力あふれる意思決定者であることを会社に納得させるが、それらはすべてうそや事実の歪曲によるものなのです」

 ヘア氏はさらに次のように指摘する。「会社の経営者は、常に最良の人材を求めています。しかし、そのような人材にはなかなかめぐり合えません。時がたつにつれて、サイコパスは自分に役立つ限りにおいて、周囲からいい印象を得続けようとします・・・。役員は皆、自分には人を見る目があると思い込んでいますし、正直さや誠実性という根本的な問題について、他人を責めたがる人はそうはいません。人間がもつこのような性分がサイコパスに有利に働くのです」

 ヘア氏とバビアク氏は、それぞれの自宅から、Fraud Magazineのインタビューに答えた。(ヘア氏は第19回ACFE年次総会で基調講演を行った)



不正を犯す者の大部分はサイコパスだと思いますか。それとも、彼らは単に反社会的な行動を示すのでしょうか。

ヘア氏:  人が不正行為を犯す理由は様々です。経済的な困窮、文化的、社会的または周囲からのプレッシャー、特別な状況、機会など。このような理由で犯す不正は比較的軽微なもので、被害者の数も少ない場合が多いです。はるかに大きな問題を起こすのは、周囲に悪影響を及ぼすような性格特性をもち、尊大な態度をとる、特権意識をもつ、うそをつく、人を欺くなどの行動をとる者が不正を犯す場合です。そのような者は、他人を単なる搾取の対象と見なし、冷淡に振舞い、後悔の念などはかけらもありません。ホワイトカラー犯罪に手を染めるサイコパスは、汚れた金のにおいのする、あらゆる種類の詐欺行為に深く関与しています。自分は贅沢な暮らしをする一方で、被害者は老後の蓄えを失い、尊厳は傷つけられ、健康まで害してしまいます。ある法執行官は、詐欺を金銭的な死刑宣告だと言いました。一般大衆も裁判所も、これらの社会の略奪者の極悪さを十分に認識していません。また、サイコパスによる犯罪は通常、身体的暴力を伴わないために、比較的軽い処罰で済み、早期に仮釈放されます。彼らが略奪した金銭が取り戻されることはほとんどなく、被害者や一般大衆は途方に暮れ、魅力的で自己中心的な人物が良心的な人物を装って行う詐欺行為はもうかると思い知らされるのです。

あなたは、サイコパシー診断の標準ツールとして、「サイコパシー・チェックリスト改訂版(PCL−R)」を開発しました。そのツールによる診断法や他のツールとの違いについて簡単にご説明いただけますか。

ヘア氏:  PCL−Rは、犯罪者集団(forensic population)におけるサイコパシー診断をするための、20項目の臨床的構成概念(clinical construct)からなる評定尺度です。有資格の専門家が、面接と詳細なファイル/付帯情報を用いて、被験者の示す特徴にもとづき、各項目について0,1,2の尺度で評定していきます。評定結果の合計点(0から40)は、被験者が「典型的なサイコパス」にどの程度近いかどうかを示します。PCL−Rから派生したものに「サイコパシー・チェックリスト スクリーニング版(PCL−SV)」があり、それは、地域や民間が行う精神医学の研究において利用されます。PCL−SVは12項目で構成され、合計点は0点から24点になります。両チェックリストとも、チェック項目は4つの要素もしくは側面にグループ化され、それぞれがサイコパシーの度合いを測定するのに役立っています。例えば、PCL−SVの評定項目は、次の4つの側面から構成されています。

対人関係に関するもの(皮相的な、尊大な、人をだます)
感情に関するもの(良心の呵責を感じない、共感を覚えない、自分の行動の責任を取らない)
ライフスタイルに関するもの(衝動的な、目標のない、無責任)
反社会性に関するもの(自制心が弱い、思春期の反社会的行動、成年期の反社会的行動)

 PCL−RとPCL−SVには、概念的にも経験則上も強い相関関係があります。また、心理測定的、説明的、予測的にほぼ同一の特性を有しています。これらのチェックリストは高い信頼性と有効性を示しており、サイコパシーに関する基礎研究や応用研究、臨床的および法医学的な評価に幅広く用いられています。

 PCL−Rで測定される人格障害は、アメリカ精神医学会のDSM−IVに記載されている反社会的人格障害(ASPD)に似ています。両者の違いは、PCL−Rが対人関関係面、感情面の傾向を非常に重要視するのに対して、ASPDは反社会的行動により定義される側面が強いということです。その結果、ASPDはサイコパシーの従来の構成概念をとらえることができず、地域や犯罪者の集団におけるASPD数はサイコパシーの数を上回ります。

 自己報告人格目録(self-report personality inventories)もサイコパス的な特徴や行動を評価するために用いられます。この手段により得られる情報は、個人が自分をどう理解し評価しているか、他人に積極的に開示したいと思っているものは何か、どういう印象を与えようとしているかなどを反映しています。サイコパス的な傾向に関わる感情面での経験については、正確な自己報告を入手するのは難しいかもしれません。さらに、自己報告にもとづくサイコパシーの測定結果は、PCL−Rおよびその派生型診断ツールの測定結果との間にそれほど強い相関を示しません。とはいえ、自己報告人格目録は個人の観点からの有用な情報をもたらし、特に一般集団(general population)におけるサイコパシーの構成概念の理解に寄与しています。PCL−Rの派生型であるB−Scan(Business Integrity Scan)には、自己報告版と上司評定版があります。B−Scanは、企業で働くサイコパスの誠実性や正直さの欠如に関する我々の経験や研究をもとに開発されたもので、サイコパシーの臨床的尺度とはなりませんが、倫理的な商行為に関連する行動、態度、判断に関する情報を引き出すように設計されています。

あなたの本を読んだり講演を聞いたりした人の多くは、自分の上司や同僚、さらには自分自身がサイコパスなのではないかと疑心暗鬼になるそうですね。人間誰でも、時と場合によりサイコパシー的な特性を示すことがあると思うのですが、サイコパスであると診断される者の目立った特徴にはどのようなものがありますか。サイコパスと気難しい人をどのように見分けるのでしょうか。

ヘア氏:  テレビでは、あらゆる病気の症状の話が常に放送されています。本当の話もあるし、怪しい内容のものもあります。視聴者がある病気Xの症状、例えば喉が痛いということを自覚していたら、Xにかかっているのではないかと心配するかもしれません。しかし、喉の痛みはX以外の病気の兆候かもしれませんし、単に喉が痛いだけということもあるわけです。ここで理解しておかなくてはいけないことは、病状は一連の症状、すなわち症候群により定義されるということと、それらの症状の中には病状の診断にほとんど役立たないものもありうるということです。1つの症状だけで病状が診断されるわけではなく、衝動的、自己中心的、無責任な人がすべてサイコパスであるとは限りません。扱いにくい人かもしれませんが、サイコパシーとは異なるのです。

 サイコパシーは、その疾患の特性が激しく表れるという特徴があります。どのくらい激しいかというと、血圧と同じく、PCL−RやPCL−SVにより測定される構成概念は次元的なものです。いくつ以上を「高血圧」とするかという閾値(しきいち)はある程度恣意的な要素もありますが、これを超えると健康を害するリスクが上昇するという一定のレンジに収まります。「サイコパシー」の閾値も多少恣意的なものですが、通常若干高めに設定されており、人を操ろうとする、冷淡である、自己中心的であるなどの諸症状が他人の権利や安全を脅かすレベルとしています。例えば、PCL−SVを用いる研究者は、18/24点を「サイコパシーと推定される(probable psychopathy)」、13点を「サイコパシーの可能性がある(possible psychopathy)」と判定する場合が多いです。このことから関連付けると、PCL−SVの平均点は、一般集団から抽出した標本においては3点未満、犯罪者集団では13点前後となります。一般集団における被験者のほとんどは0点か1点で、外見上サイコパシーの特徴のいくつかが認められる人でも、13点は大きく下回ります。だからといって、彼らが聖人のような人物だということではなく、サイコパシーとは別の理由で非常に「扱いにくい」人物だということはあり得ます。彼らの価値観、信条、流儀は魅力的とはいえないかもしれませんが、それでも彼らは正直で、誠実性を備え、感情を抱き、組織の成功に貢献するかもしれませんし、企業の文化や職場の規範に自分を合わせようと真剣に努力することができる人たちなのです。一方、サイコパスは、誠実性に欠け、うそをついて人を操ろうとします。また、深い感情を抱くことがありません。目標達成のために自分を変えることがあるかもしれませんが、それは演じているにすぎないのです。シェークスピアのオセロに登場するイアゴのように、サイコパスは自分が置かれた状況に応じて、「善人」にも「悪人」にもなれるのです。

サイコパスは何を求めるのですか。彼らの動機は何でしょうか。

ヘア氏:  彼らは、普通の人が求めるのと同様のものを欲しがりますが、それに加えて、権力や地位、富などに異常なほどの執着心をもっています。その「欲望」の度合い、欲しいものは何でも手に入るという特権意識、そして手に入れるためには手段を選ばないという姿勢が我々と異なるのです。また、自分の欲求や目標を他人と共有しないという点でも大きく異なります。つまり、サイコパスは、他人のためという感覚や、家族や友人の幸福、社会の繁栄、社会のルールや期待などへの配慮、相互依存といった、通常の人間の行動を導く価値観は全く持ち合わせていません。彼らは、独善的に行動し、罪の意識や後悔の念を抱くことなく、他人にどのような犠牲を強いようと常にナンバー1を目指すのです。

サイコパスは感情を抱き、他人の感情に反応するのですか。

ヘア氏:  サイコパスの感情は、多くの人に比べて狭小で皮相的なものです。浅いとか不毛なという表現が用いられることが多く、自分自身の欲求や経験に関連した、どちらかといえば未発達な「原始的感情(proto-emotion)」であるといえます。彼らの怒りや敵意、嫉妬の感情の表し方や欲求不満への反応ぶりは、共感、愛情、恥、悲しみなどの表現よりもはるかに強烈です。時として、サイコパスは冷淡で無常な人間に見えますが、彼らの感情表現は劇的ですが、浅く、長続きしません。彼らは、感情表現をもっともらしく模倣することはできますが、観察力が鋭い人が見れば、表面的でわざとらしく映るでしょう。このことから、興味深い疑問が生じます。サイコパスの感情的な生活が不毛なものなのであれば、彼らはどうやって他人の感情を「読み取り」それに反応することに長けているのでしょうか。それに対する答えは恐らく、他人が示す感情の状態を、言葉や身振り手振りの明確なパターンに置き換えて認識しているのではないかというものです。サイコパスは、この情報をもとに、実際には理解できない感情の状態を直感的に推し量ることができるといえます。これは、色覚異常者が(例えば、信号機の上の色は赤だというように)その色が発せられる状況との関連で「識別する」感覚に似ています。しかしながら、色覚異常者がどんなに辛抱強く訓練しても本当に色を理解することはできないように、サイコパスにとっても、他人の感情は知識として漠然と類推することしかできないのです。簡単に言えば、サイコパスには他人がどのようにして感情を抱くかは理解できず、また気にも留めません。

あなたの著作に、サイコパスは「言葉は知っているが音楽は知らない」という研究者の言葉が書いてありますが、それはどういう意味でしょうか。

ヘア氏:  それは、サイコパスは言葉の外延的意味、つまり辞書に書いてある意味は理解できますが、その言葉の内包的意味、つまりどのような感情が込められるかは分からないという意味です。彼らの言語には「深み」がなく、感情的な色彩が欠如しています。「愛してるよ」とか「本当にごめんなさい」という言葉には「いい一日でありますように」という話し手の感情が込められているのです。言葉に感情的な深みがないということは、臨床医の指摘や神経画像研究にみられるサイコパスの感情の欠如(poverty of affect)の一因となっています。

サイコパス、社会病質者(sociopaths、以下「ソシオパス」)、自己愛性(narcissistic)または演技性(histrionic)人格障害の違いは何ですか。

ヘア氏:  サイコパシーと社会病質(sociopathy、以下「ソシオパシー」)という用語は、関連性はあるが同一ではない状態を指します。サイコパスは、社会的、環境的要因では十分理解できない性格特性や行動パターンを有しています。彼らには良心というものがなく、他人に対して共感、罪の意識、忠誠心をおぼえる能力がないとされています。ソシオパシーというのは、正式な精神病状ではなく、社会全体から反社会的で犯罪性があると見なされる態度、価値観、行動のパターンを指します。しかし、ソシオパシーは、それを作り出した社会環境やサブカルチャーの下では普通であり必要なものだと見なされています。ソシオパスは十分に発達した良心を備え、共感、罪の意識、忠誠心を普通に感じる能力をもっているかもしれませんが、善悪の判断が、自分が育ったサブカルチャーやグループの規範や期待にもとづいてなされるのです。犯罪者の多くはソシオパスといえるかもしれません。自己愛性および演技性人格障害は(アメリカ精神医学会の)DSM−IVに記載されており、サイコパシーとの相違点は私たちの著書「社内の知的確信犯を探し出せ」で概説しています。簡単に言いますと、自己愛性人格障害者は、過度の賞賛欲求(need for admiration)があり、優越感や権利意識が強く、共感力が欠如していますが、必ずしも、先ほど説明したようなサイコパシーのもつライフスタイルや反社会的な特性を備えているわけではありません。演技性人格障害は、過度で演技でもしているような感情表現をし、相手の気を引きたがり、強く同意を求めると特徴づけられ、サイコパシーのもつライフスタイルや反社会的特性は有していません。

サイコパスは遺伝的なもの、環境的なもの、あるいはその両方であるということを示した研究はありますか。もし、環境的な側面があるとすれば、どのようなことが起こると人はサイコパスになるのでしょうか。

ヘア氏:  あらゆる性格特性は、遺伝子的な要因と環境的な要因の相互作用の結果として形成されます。行動遺伝学における最近の研究では、前述したサイコパシーの特徴の前兆現象と考えられる無神経で無情な特性や反社会的な性向は遺伝性が強いです。サイコパシーが社会的または環境的な影響のみにより生じるという証拠はありませんが、だからといって、先天的なサイコパスがいるという意味でもありません。早期にサイコパスの前兆現象を示す人にとっては、人付き合いが非常に困難であるということです。

男性と女性のサイコパスでは、人の欺き方が異なりますか。異なるとすればどのような違いがあるでしょうか。

ヘア氏:  臨床報告では女性のサイコパスが数多く見られますが、実証的研究においては少数派です。入手可能な証拠によれば、サイコパスは男女とも、自己中心性、虚偽性、薄情さ、共感性の欠如などの対人関係面や感情面での性格を共有していることを示唆しています。性別に関わらず、サイコパスは他人を騙したり操ったりしようと、自らの体格を最大限に利用します。しかし、女性のサイコパスは男性ほどにはあからさまで直接的な乱暴な行動はとらず、魔性の女(femme fatale)という言葉から想像されるようなタイプが多いでしょう。

採用面接や経歴調査の過程で、企業がサイコパスの求職者を見抜く何らかの方法はありますか。サイコパスが就職活動をする際には、企業が求める資質をすべて備えているように振る舞い(他人をだまし)ますから、見抜くのは非常に難しいと思いますが。

バビアク氏:  サイコパスは、素晴らしい第一印象を与えることに長けており、非常に高い面接スキルも有しています。そのため、人材を採用する際に面接だけに頼ると、誤った選択をしてしまう恐れがあります。十分な訓練を受けていない者が面接をすると、そのリスクはさらに高まります。サイコパスのうそや騙しのスキルに気づけないため、面接で得た情報の真偽を確認するのに必要なステップを踏まないからです。

 採用プロセスにおいてサイコパスがつくうそに気づく確率を高めるためには、被面接者が示したもの(知識、経験、専門能力)をすべて詳細に検証する必要がある。サイコパスは、表面上は非常に雄弁で、専門用語を使ったりもっともらしいことを言ったりするため、面接者はその薄っぺらな魅力にだまされて、専門能力があると思い込んでしまいます。職務経歴書上のデータは、極力面接前にできる限りチェックすべきです。そのうえで、体系的な面接技術を用い、組織内の複数の部門および役職による複数の面接を経ることにより、被面接者の発言の一貫性を確認し、細かい点を掘り下げるのです。

 採否を決める前に、面接者全員が集まり、各自の所見や印象を共有することが決定的に重要な意味をもちます。この会議において、被面接者の発言内容の不一致や虚偽の回答の可能性が浮き彫りになります。合議により意思決定をすれば、たとえサイコパスが1人の面接者を騙せたとしても、組織として誤った決断をしてしまう事態を回避できます。

我々すべての中に備わっている「3つの人格」について簡単に教えてください。

バビアク氏:  我々は皆、心の奥底に自分自身の私的な経験や人格を有しており、それらは自分の欲求や価値観、感情などから構成されています。この自己認識(self-perception)には、自分で分かっていて他者と快く共有したいと感じているもの、秘密にしておきたい性格、さらには自分自身にも分かっていない部分があります。この自己認識は、我々の内的もしくは私的人格(inner or private personality)です。しかし、他人とやりとりする際には、我々は、自分が気に入っていて、社会的にも受け入れられ、周囲の人々に好ましい影響を与えるような人格のみを表に出そうとする傾向があります。これは我々のペルソナ(persona、表層的人格)あるいは公的自己(public self)です。人間は、公の場では仮面を被るのです。人格に対する第3の視点は、知人あるいは関係者の間での我々の評判で、それは属性人格(attributed personality)と呼ばれるものです。

 「相手の受け止め方が真実となる」ビジネスの世界では、性格に関する3つめの見方− 評判 −が最も重要です。自分に対する評判が、他人が自分にどう対応するか、我々に対する決定をどう下すかに影響を及ぼし、それにより最終的には、我々のキャリアはいい方向にも進むこともあるし、逆に脱線してしまうこともあります。残念なことに、多くの人々は、自分の評判という視点に気づいていないか、それを軽視しています。時として、訓練プログラムにおいて実施される「360度」フィードバックなどの形で確かなデータを突きつけられて初めて、我々は自分が他人にどう見られているかを知ることになるのです。

 サイコパスは、組織やその構成員の期待に沿うような仮面もしくはペルソナを表に出して活動します。典型的な仮面は、「私は理想的な従業員でありリーダーです」というものです。サイコパスは、印象管理技法(impression management techniques)を用いて、このような外見を作り上げ、維持することに腐心します。人材採用の意思決定権を者たちは、このような仮面、つまり、正直で、成果を生み出し、面倒見の良いリーダーであるという外見だけを見せられ、それを被面接者であるサイコパスの評価に組入れるのです。そのようにして、サイコパスの評判ができ上がります。サイコパスは、自分にとって価値のない相手に対しては、いい印象を与えようとする努力はしません。そのため、そのような人々には、サイコパスの本性が分かる場合もあるかもしれませんが、残念ながら、彼らは組織の意思決定に影響を与えられるような存在ではないことが多いのです。

一言で言うと、サイコパスはどのようにして他人の性格を判断するのでしょうか。

バビアク氏:  サイコパスはしばしば、有能な心理学者のような印象を与えます。しかし実際には彼らは単に人並み以上の観察力をもち、自分の周りにいる人々の特徴、性格、個人的状況を利用しようとしているだけなのです。サイコパスは、他社との強固な関係を築くために、上述の3つの人格を使い分けます。彼らは先ず、魅力的でカリスマ性のある仮面、つまりペルソナを示し、相手はたいがいそれに好感をもちます。サイコパスが(自分が求めるものを持っている)ターゲットとの関係を強化したい場合には、先ず、彼らがターゲット(自身のペルソナもしくは外的自己<outward self>)に本当に好感をもっているということを納得させます。次に、お互いが(深層心理まで含めて)多くの点で似た者同士であると思い込ませます。そのうえでターゲット自身の本当の(すべての秘密も含めた)私的、内的自己をすべて理解し受け入れるということを伝えて、信頼を得るのです。最後に、ターゲットに彼ら(サイコパス)は理想的な友人、パートナー、同僚であると信じ込ませます。こうして「サイコパス的結束」が形成されます。この結束はとても誘惑的なものです。なぜならば、職場環境において、他社とこれほどまでの心理的親密性を醸成できる者はごくまれだからです。この結束によって、ターゲットはサイコパスに操られ続けることとなり、真実を見抜くことが非常に困難になるのです。

ビジネスにおいて、サイコパスが特に狙いをつけるのはどのような人ですか。

バビアク氏:  サイコパスは、常に自分の目的達成のために利用できる人間を探し求めています。組織において高い地位にあり、権限を有している者が狙われやすいと考えていいでしょうが、非公式な陰の権力を有する人物もターゲットになります。例えば、役員のスケジュールを管理している秘書などは、格好のターゲットです。書類や情報、業務プロセスをコントロールしている中間管理職もサイコパスにとっては利用価値があるかもしれません。(IT、財務、監査などの)専門的な分野で組織に貢献しているスタッフは、職務権限はなくても、企業で働くサイコパスにとって有用な情報その他の資源に多大な影響を及ぼす存在です。サイコパスにとって利用価値があると認められた者は誰でも狙われるのです。

難しい質問だと思いますが、サイコパスは、どのようにして組織内の人々を、あなたが「手駒」「パトロン」と呼ぶ存在として操ることができるのでしょうか。

バビアク氏:  このモデルは、「サイコパシー・ドラマ」の展開を観察することによりできあがったもので、サイコパスが、組織における人々の活動を芝居がかった視点でとらえているということに基づいています。サイコパスは自分自身を、公私にわたる生活というドラマの脚本家であり監督、プロデューサーであるととらえています。そして、他人はすべて、必要により起用する脇役に過ぎません。それが手駒とパトロンなのです。

 サイコパスは組織内の様々な人々との結束を強化しますが、それは見せかけのサイコパス的結束です。サイコパスは、権限や地位、必要とする資源へのアクセスを有する者を手駒と見なし、用なしになるまで使い回して放免するか、場合によっては捨て駒にしてしまいます。パトロンは、重要な権限を有する者で、形成が振りになった時にサイコパスを守ってくれる存在です。大企業において、将来有望な人材が社内の出世街道をスムーズに進めるように支援する「メンター」もしくは「後見人」のような人物といえるでしょう。

 サイコパシー・ドラマには、カモという配役もあります。それは組織内での権限や影響力をサイコパスにより事実上取り去られてしまった元手駒やパトロンのことです。最後に登場するのが組織内警察で、経理、人事、ITなどの部門の管理職を指します。彼らは、サイコパスを追い落とせる格好の立場にありながら、経営陣は彼らの言うことに耳を傾けず、また、すでにサイコパシー的結束の罠にはまっています。サイコパスは通常、(サイコパスが毛嫌いする倫理観やプロ意識の持ち主である)組織内警察を避けたがりますが、もし手名づけられれば掛け替えのない存在になります。

サイコパスが、周囲から一目置かれた上層部の人間に影響を及ぼそうとするのは当然だと思いますが、影響力はあるが高い地位にはない「非公式なリーダー」をどのようにして操り、利用するのでしょうか。

バビアク氏:  組織を率いるのは正式な権限を有する人たちですが、日々の実務は非公式なリーダーの集団が取り仕切っていることが多いです。残念なことに、多くの会社ではこのような非公式のリーダーは縁の下の力持ち的な目立たない存在で、本人たちもそう感じています。そのため、サイコパスが出世するにつれ、彼らの価値を認めて好意的に接すれば、彼らを懐柔するのは操るのはたやすいことです。彼らは、やり手のサイコパスにとって絶好のターゲットなのです。

どうすれば、サイコパスとの一方的な関係の罠にはまらずに済むでしょうか。

バビアク氏:  この場合、知識は力なりです。サイコパスについてできる限り学ぶことが重要です。彼らの性格特性や行動パターンなどを知り、さらには自分自身についても理解を深め、権力や(公式、非公式に)資源を管理する立場、およびサイコパスにつけ入る隙を与える感情面での弱点など、自分がサイコパスにとって魅力的な何かを備えているかどうかを知るべきです。サイコパスは単独で働くわけではありませんから、彼らと働いたり接点をもったりしたことのある人々から、貴重な情報を得ることができます。

博士の著書には、組織に首尾よく入り込んでからは、サイコパスは、持ち前の評価(assessment)、操作(manipulation)、放棄(abandonment)という3段階の行動パターンに戻ると書いてあります。これら3つの段階について簡単に解説していただけますか。また、上昇段階(ascension phase)についても説明してください。

バビアク氏:   サイコパスが示す行動パターンには、相当一貫性があります。彼らはターゲットを識別し(評価段階)、彼らを利用して(操作段階)、用なしになったら使い捨てにします(放棄段階)。組織においては、放棄段階をやり遂げるのは容易ではありません。なぜならば、サイコパスが物理的にその組織を去ることはできないからです。このことは、元手駒であり、今や自分はサイコパスにカモにされたと感じる者たちとの確執をもたらします。しかし、サイコパスは先回りをして、組織内で権力を有する人たちに、カモたちを中傷するような情報を流しておきます。そのため、最終的にサイコパスと対決する者たちは、気が付くと窮地に追い込まれているのです。

 サイコパスが、パトロンとして彼らを導き支援してくれた者たちを裏切って、彼らを追い落とすことにより出世する機会を見出すこともあります。このように、他のメンバーだけでなくパトロンまでも手玉にとって上昇するというのは、サイコパスにとって特にやりがいのあることだといえます。

企業や組織にいるサイコパスは一匹狼ですか。それとも不正を成し遂げるために他のサイコパスと徒党を組むこともあるのでしょうか。

バビアク氏:  我々が遭遇したサイコパスのほとんどは、自分のことしか考えないという点では「一匹狼」でした。しかし、彼らは自分の活動をより円滑に進めるために、周囲に支援者や信奉者を集めます。これらのだまされやすい人々に彼らの行動は自分の価値観に合致したものだと思い込ませ手いる限り、ゲームは続くのです。

 たまに、同じ組織内で2人のサイコパスが、少なくとも短期間、チームとして働くことがあるかもしれません。そうなると必然的に、仲違いが起こります。スターは1人で十分なのです。あるケースでは、同じ企業で2人のサイコパスが働いていましたが、部署が別々でほとんど接点はありませんでした。歴史的に見ると、サイコパスが一緒に働いていたという状況はあったかもしれません。スターリンと彼の腹心であった秘密警察トップのベリヤ(Lavrentiy Beria)はどちらも負けず劣らずのサイコパスであったと思われます。

インターネットなどの技術が開発されたことで、サイコパスは活動しやすくなりましたか。

ヘア氏:  計り知れないほどです。インターネットなどの技術により、サイコパスなどの略奪者は、犠牲者となりうる人々にほとんど無制限にアクセスできるようになりました。彼らは、ほとんどリスクを犯さずに、架空の株式を売り込んだり、不正な投資スキームを流布したり、銀行口座や個人情報を盗み取ったりします。また、架空の飾り立てられたウェブサイトを構築して、何も知らない犠牲者を引き寄せたりもします。インターネットや関連技術は、不正を犯す者にとってこの世の楽園であり、将来さらに好都合な技術が開発されるでしょう。

1980年台および90年代のビジネス界は驚くほどの変化を遂げました。そして今、景気は後退期にあります。これらの変化は、組織におけるサイコパスの活動にどのような影響を及ぼしたのでしょうか。

バビアク氏:  景気停滞により人員削減や工場閉鎖などが行われる一方で、業績回復の手腕をもった経験豊富なリーダーに対する需要には根強いものがあります。このような人材は希少価値ですので、経営を受け継いで事業を立て直すのに必要な(偽りの)スキル、(偽りの)能力、(偽りの)経歴を十分に備えたサイコパスが「解決策」として経営難の企業に入り込む完璧なシナリオとなります。

 また、以前よりも高等教育を受ける機会が増えており、サイコパスが学歴詐称に利用できるような、オンラインで簡単に取得できるいかがわしい学位もはびこっています。失業することはもはや不名誉なことではなく、それほど心配することでもありません。人員削減や工場閉鎖により、真に優れた企業幹部が一時的に失業することもめずらしくない時代です。ある会社を短期間でやめていても、不況のせいにすれば説明がつきます。前職を失った理由をいやな性格の上司や陰険な同僚のせいにするサイコパスもいますが、「仕事も企業も素晴らしかった」のだが、不況により去らざるを得なかったと悲しげ語り、採用担当者を巧妙に欺こうとする者もいます。

博士は、組織は以前よりも「サイコパスにとって扱いやすく」なっていると書いています。それはどういう意味でしょうか。

バビアク氏:  組織構造が対規模で官僚的なものからスリムでフラットなものに変わったことで、組織はより少ない規則で迅速な意思決定を下すようになりましたが、期せずして、サイコパスには魅力的で御しやすい状況をもたらしました。意欲的なサイコパスにとっては、同僚の中で頭角を現す機会が増え、トップに上り詰めるための関門も少なくなるからです。従業員たちの働くことに対する価値観の変化も、サイコパスの侵入を容易なものにしています。入社時のボーナスや少なくとも2年ごとのボーナスなどを求める「若手の」従業員に当初は戸惑っていた企業の多くは、そのような要求を新たな就労スタイルとして受け入れざるをえないと考え始めています。若手のサイコパスは、このような文化にうまくあてはまります。

博士は、非常に構造化された従来の官僚機構においては、サイコパス成功を収めにくいのではないかとも書いています。それはなぜでしょうか。

バビアク氏:  官僚機構は、規則に縛られるように構成されており、それは、業務体系化による一貫性、品質、生産性の追及という組織開発の産物です。しかし同時に、非常に退屈で、反応が鈍く、創造性や革新を受け入れにくいという不幸な結果ももたらしました。

 1980年代、90年代には、会社が事業を維持しシェアを拡大するためには、スピード感が益々求められる時代が到来し、組織システム(官僚機構)および組織構成員(文化)に大きな負担を強いるようになりました。企業は「より低コストでより多く、より良く」という難題を突きつけられたのです。市場における需要の高まりに迅速に対応すべく、各組織は官僚機構−方針と手続−を部分的に廃止し始めました。上から下へのコミュニケーション改善の名の下に、すべての経営管理段階が取り除かれ、かつては有用と考えられていたシステムは撤廃もしくはリエンジニアリングされたのです。このような組織構造の変更により、サイコパシー的な行動の発見に役立つ方針と手続(正式な業績評価など)やサイコパスの雇用を阻止するようなシステム(構造化された雇用慣行)が撤廃されたことで、サイコパス的な傾向のある人物が組織に忍び込み、首尾よく出世することが容易になりました。

 残念ながら、これらの新たな組織構造は常に不安定な状況にあり、決して「理想の」状態には至りません。その不安定さがサイコパスに有利に働くのです。このような組織構造を「過度期の組織(transitional organizations)」と呼びます。なぜならば、組織構造の変遷に終わりはないからです。かつての大企業における安定に慣れ親しんだ人々は不満を感じ混乱します。生まれつきスリルを求めるサイコパスは、このような混乱状態を好みます。実務レベルでは、常に変化し続ける就業環境において、サイコパスはターゲットとなる同僚を次々と見つけ出し、あるプロジェクトに退屈すると次のプロジェクトへ移動することができます。

サイコパスが不正を犯すために、どのようにして類縁集団(affinity groups、宗教団体や政治団体など、同じ価値観や信条を共有するメンバーの集まり)を利用するのでしょうか。

ヘア氏:  これは類縁詐欺(affinity fraud)と呼ばれるもので、類縁集団メンバーは、価値観や信仰、興味関心を共有すると宣言している相手に強い信頼を置くという事実に依存したスキームです。サイコパスは、メンバーの1人と知り合いになり、「仲間」として紹介してもらうという手口で集団に入り込み、巧みに詐欺行為を働きます。その結果は、鶏小屋にキツネを放つがごとく明らかです。宗教グループは特に被害に遭いやすく、人は本来善人であると信じ、信仰心の表明を無批判に受け入れてしまう人々は、サイコパスにとって御あつらえ向きのターゲットとなります。不幸にも、そのようなグループの人々の多くは、騙された後でさえ真実と向き合うことを拒み、自分を騙した相手も基本的には善人であり、自分たちを利用したのには何か理由があるに違いないと思い続けるのです。金融やビジネスに関するグループに属する教養のある人々でさえ、外見や身なりが良く、豊富な人脈を持っていると思われるサイコパスの魅力と誘惑には簡単に騙されてしまいます。新規メンバーを疑って掛かるのは役立つかもしれませんが、危害を加えようという意図をもつ侵入者を完全に排除できる保証はありません。諜報機関や犯罪組織など極端に疑り深い集団ですら、自分の資格や人脈、意図を偽る者たちから完全に身を守ることはできません。

ACFEの創設者兼チェアマンであるジョセフ・ウェルズは不正実行者が取る行動だけでなくその者の心理的な動機や精神的な異常にも着目した教育を実践しています。ACFEとしては、会員がサイコパスの疑いがある者を見つけ出し、彼らの犯罪を未然に防げるように、どのような支援をすることができるでしょうか。

バビアク氏:  不正検査士の専門基準を高め訓練を積むことは、好ましい基盤となるでしょう。サイコパスの性格や彼らが用いる戦略・戦術についての知識を向上させることも重要です。それでも、彼らの行動やごまかしについて様々な情報源から詳細な情報を収集しなければサイコパスの存在を突き止めるのは難しいでしょう。特に、自らがサイコパスに狙われている場合は見極めが困難です。また、不正検査士としては、自分自身がサイコパスに利用されやすい性格特性や脆弱性を備えていないかどうかを理解することも大切です。サイコパスに関する疑惑をもったメンバーが対応についてのアドバイスを求められる「ホットライン」を設けるのもいいでしょう。

組織で働くサイコパスは、多くがその正体を暴かれるのでしょうか。それとも、彼らはそのまま出世し続けるのでしょうか。

バビアク氏:  我々の研究対象となったサイコパスのうち、勤務先の要職から外されたのは1人だけです。昇進を果たした者もいますし、私利私欲のために組織を利用し続けられる地位を確保した者もいます。唯一解雇されたサイコパスは相当な額の解雇手当と会社負担の車を与えられ、競合先にさらに高い報酬で雇われました。残念ながら、組織によっては、問題を取り除き、産業界や金融界において恥をかかないようにと、サイコパスに組織内をかき回された事実を隠したり、さらにはサイコパスの転職に際して好意的な推薦状まで書いたりして、彼らの陰謀を手助けしてしまうこともあります。

 「スーツを着た蛇」の出版後は、自分の部下や共同経営者がサイコパスなのではないかと疑う会社役員や起業家などからの問い合わせが増えています。この問題に対する認識が高まり、問題社員を解任するなどの対応を積極的に取ろうという動きが増えてきています。

不正検査士は、雇用されてしまったサイコパスをどのようにして識別できるでしょうか。従業員に対して、不用意にサイコパスのレッテルを貼るべきではないと思いますが、サイコパスによる不正を防止するために不正検査士は何をすべきですか。サイコパスの疑いのある従業員による不正の兆候を識別することは可能なのでしょうか。

バビアク氏:  ビジネスにおいては、誰かにサイコパスのレッテルを貼るのは得策ではありません。組織としては、不正実行者等が目に見える行動を取った場合にのみ対処できます。クライアント(場合によっては同僚)にサイコパスの特徴が見られるのではないかと疑うことは、不正検査士がうそやだましの微妙な兆候を捜し出し調査する感度を高めるのに役立ちます。クライアントが非常にサイコパス的であれば、不正行為等が行われている可能性は高いですが、それは目に見えない水面下で進行しています。矛盾や違反が表面化した場合には、不正検査士は事実のみに着目し、サイコパスがこびへつらったり、誤った方向に誘導しようとしたり、不正検査士の能力や調査権限に疑義をはさんだりして、混乱させられないようにしなくてはなりません。

サイコパスと対決するためにはどのようなステップを踏むべきでしょうか。サイコパスを更正させることはできるのですか。

ヘア氏:  他の不正疑惑と同様に、不正の疑いのあるサイコパスと対峙する際には、事前にすべての事実を入手、検証、理解したうえで、企業の方針と適正な手続きに沿って進めなくてはなりません。しかし同時に、サイコパスがどのような反応を示すかを予期することも重要です。想定される反応には、「一見もっともらしい」憤りや否定、非難や責任の分散、「より強い」権限を有する者への訴え、暴言、訴訟を起こすという脅しなどがあります。このような場合には、容疑者に対する申し立てが事実的にも法的にも妥当であり「一歩も引かない」ものであることを確認することが不可欠です。

 不正行為の嫌疑を掛けられた者が、事実を認めたうえで、それは魔が差してやってしまったことであり改心すると神妙に誓うという、一風変わった戦術を取ることもある。しかし、サイコパスがそのようなことを言う場合には、健全な懐疑心をもって対処しなくてはなりません。サイコパスは更正することができる、あるいは更正すべきであるという証拠はほとんどありません。彼らの行動は、確立し安定した人格構造を反映したものです。人間は通常、自分自身の行動をもたらす動機に関する一定の見識をもち、よき企業人になるために自分は替わらなくてはならないということを受け入れます。残念ながら、サイコパスは既に自分の動機を認識しており、それが間違っているとも変える必要があるとも思っていません。しかし、「更正」することが自分の身勝手で実利的な目的達成に資すると思えば、サイコパスは「救済された」もしくは「あがなわれた」罪人を演ずる能力には長けています。



ディック・カローザ氏は、Fraud Magazineの編集長である。


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