タックス・ラウンジ
バックナンバー

年貢の増徴と百姓一揆
(2014/03/25)

 日本の稗史・物語に登場する百姓一揆には一定のルーティンがある。

 支配者側でまず年貢の増徴をたくらむ。最高の責任者である藩主は、ほとんどここに加わらない。側近の官僚層が、自分の出世のために業績を上げようとしたり、又は財政破綻を糊塗せんがために、一方的に収奪の強化を農民に押し付ける。

 窮乏に陥った農民は追い詰められた揚句、もうこれ以上は耐えられない時点に到達したとき、一挙にエネルギーを爆発して立ち上がる。

 発火点はたいがい食糧が十分に貯えられていない山間部である。途中参加者は雪だるまのように膨れ上がって、城下へ殺到する。むしろ旗を掲げた農民が数千人を超したら、支配者側は完全にお手上げになる。

 藩主はここで初めて現実に目覚め、強権主義者の行き過ぎを非として、収奪の強化を諦めることになる。ここでは、原状復帰までが約束されるだけである。

 悪玉の官僚層が処罰される一方、一揆の指導者たる農民は、封建秩序を破壊しようとしたというかどで、何人かが全体の犠牲者となって断罪される。付加随行者はおとがめなしとなり、封建秩序の維持は継続される(青木虹二『百姓一揆の年次的研究』大原新生社1974)。

 百姓一揆に体制変革的な要素を見つけるのは難しいのかもしれない。

(出所:酒井克彦・税のしるべ3018号4頁)